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2011年2月2日水曜日

情報発信のメリット(濱口さんと労務屋さんのBlogを読んで)

前回の私のBlog記事に関して,濱口桂一郎さんが自身のBlogにおいて言及されているのを見つけました。その内容は,労働政策が中小企業に対して長期雇用を「強制」しようとしたという僕の記述は間違いですよというものでした。

確かにその通りで,強制したわけではありませんね。ここは「誘導しようとして失敗した」といった表現にしておけば適切だったのでしょう。

それでは本当に誘導していたのかという疑問を持つ方もいるかもしれないので,簡単に私の考えを説明しておきます。まず日本の労働政策は長い間,三者構成とされる労政審において議論されて合意に至った内容だけが実質的に法律になるという状況が続いていました。そこで問題となるのが,審議会に参加する労使の代表が,本当にすべての労働者(失業者などの現在働いていない人や非正規の労働者も含む)とすべての使用者(中小零細企業の経営者なども含む)を代表していたのか否かです。

この点に関してよく指摘されるのは,実質的には,審議会において大企業の労働者や組織化された労働者の代表と大企業の経営者の代表の声が,最終的な合意形成に反映されやすかったという問題です。

もちろん審議会メンバーたちは多様な当事者たちの意見を聴取していたでしょうが,最終的には自分たちの利益を最大にするために行動したとするなら,わが国の労働法が大企業に適合性の高いものとなってしまう可能性が高いわけですね。このとき意図しない形ではあっても,中小企業に対する大企業型人事制度への誘導があったと言えるのではないでしょうか。

また労政審のメンバーを誰が選んでいたのかについても考える必要があります。政治が選んでいるのか,それとも実質的には行政が選んでいるのかにもよりますが,もしかしたら日本の大企業で見られる雇用慣行を正しいものとして,中小にもこれを普及させようという意図があって,労使の代表が意図的に選ばれていたのかもしれません。この場合は誘導があったといえますね。他方で労使の代表として単に大きくて目につきやすい,また声の大きい組織の代表を選んでおけばそれで間違いないだろうと考えていたとするなら,この場合は意図しなかったが結果的に「誘導」する形になっていたといえるでしょう。

次に,昨日付けの労務屋さんのBlogでは,私がαSYNODOSというメールマガジン(2月1日配信分)向けに書いた記事について,高知放送事件に関して誤解を生みかねない表現があるとして丁寧な説明をされています(ちなみに当該メルマガの私の記事の次に,労務屋さんの記事もあります)。

私としては「普通解雇について争われた高知放送事件の概要ですが」という表現をしたことで,ここで書かれたことがすべてではなく,あくまで「概要」ですよと言ったつもりでした。しかし確かに労務屋さんのおっしゃるように,ここだけを読んだ人は「日本ではやはり解雇はとても難しいなあ」とか「裁判所は労働者の味方なのだなあ」という印象を強く持ってしまう懸念があります。メルマガの内容を後日どこかに転載できる機会があれば,その際には労務屋さんの当該記事へのリンクを張っておきたいと思います。

濱口さんのBlogも労務屋さんのBlogも,雇用労働問題の研究者や実務家の間では広く読まれているものですね。このようなところで私の誤解や表現の足りないところ等を指摘していただけるのは,とてもありがたいことです。お二方に感謝したいと思います。

今回のようなコメントを頂いて,このように専門家から無料で教えてもらえるということは,情報発信することのメリットだと実感しました。自分で考えているだけでは,誤解に気づきませんからね。もちろん間違いのない記述と表現を追求するのは当然のことですので,今後とも日々精進します。それでは。

2011年1月28日金曜日

澤井さんへの返信(その2)

丁寧なお返事をいただきありがとうございます。「経済学者vs弁護士の雇用規制緩和に関する議論に絡んでみた(その2)」を拝読して,自分の説明が足りなかったところと澤井さんが心配されている論点とが明確になり,とても感謝しています。

まず説明不足だったと思われる点は,大きく分けて次の4点です。

  1. まず私が提案している労働ルールの変更を,私は「解雇規制の緩和」であるとは考えていません。例えば既存の契約については,これまで不明確で予測が難しかった整理解雇の要件を合理化・明確化すべきだと私は主張していますが,これは中期雇用導入の有無とは関係なく,合理化・明確化が労使双方の利益になるものだと思うからです。当然,この取り組みによっても,これまでの約束を使用者側が何の制約もなく一方的に反古にすることが認められるわけではありません。
  2. また私は中期雇用を可能にすることも主張していますが,これは「原則3年までの短期か定年までの長期かという極端な二択に,契約が限定されていること」を崩すのが目的です。よって新規契約に関しても,個々の契約において解雇しないという約束がなされた範囲では,雇用保障が依然として実効性を持ちます。
  3. さらに重要だと考えている変更点は,長期雇用に関する雇用保障の構造をこれまでよりも明確なものにすることです。俗に終身雇用と呼ばれる定年までの長期雇用は,現時点では期限の定めのない雇用契約と整理解雇法理により実質的に実現されています。これに対して今後は,定年までの片務的な長期雇用保障契約を労使が結ぶ場合でも,明示的な期間を定めた契約を締結すべきだと考えています。これは例えば大学新卒の22歳の人に対して,企業が65歳の定年時までというおよそ44年契約を明示的に提示するということです。しかし,これだけ長期の契約となると環境の変化等への対応が不可欠でしょう。よっておそらく長期雇用の場合には,労働条件の変更による待遇悪化の可能性,また分社化や他社への部門譲渡の可能性,そして整理解雇が行われるとしたらどのようなときかという要件等を可能な範囲で明示する特約が付くことになると思われます。そして予測できなかった事態への対応については誠実な交渉義務を課すといった条項も含まれることになるでしょう。
  4. さて,そもそもこれまでのわが国の労働政策は,極端な言い方をすれば,高度成長期に大企業でたまたま発生して上手くいったように見えた労働慣行を,中小企業にまで強制しようとして失敗した歴史とは考えられないでしょうか。おそらく中小企業においては,実現不可能な労働ルールを守るように言われて,実際には無理だと労使が判断して無視していたというのがこれまでの実態でしょう。つまり現在まで,中小企業の労働者は実質的には保護されていない状態だったのです。そこで前回申し上げたように,守れるルールにするかわりにきちんと守らせることが重要だと考えています。

私が述べている案に対して,澤井さんが様々な心配をなさるのは当然のことです。上記のように様々な不具合もあるものの,これまでとりあえずは機能してきた制度に手を加えることにより,現状と比較して全員が損する可能性さえもあるからです。よって労働を取り巻く関係者の全員が理解し納得した上で,100%確実とは言わないまでも「まあやってみても良い」と考える合意形成が必要です。そのために必要となる取り組みは,ルール変更を提案する側に課された責務であるとも言えるでしょう。

そこで最近,私は労働法学者の野川忍さんと共同で雇用労働問題を議論するBlogを始めました。野川さんとの質疑応答を通じて,これからの労働ルールのあり方についての私の考え方と論拠を今後さらに明確にしていくつもりでいます。

それが一段落した上で,澤井さんから頂いたコメントや疑問点のどれに答えられていて,またどこは回答が不十分なのかをはっきりさせたいと思います。というわけで申し訳ありませんが,もう少し時間を頂ければありがたいです。

今後ともどうぞよろしくお願いします。

2011年1月23日日曜日

澤井和彦さん(ks736877)へのお返事

このエントリは澤井さんのBlog記事
(http://xxx-phere.cocolog-nifty.com/beobachtungen/2011/01/post-2382.html)
に対してのコメントです。Twitterへの連投を避けるためにこちらに書くことにしました。よってまずは澤井さんのBlog記事を先にご覧ください。


------ここから本文------

澤井さん,

こんにちは。Blogを拝見しました。長期雇用を考える際に,他の制度との関係をもっと考慮せよとの意見には同意します。しかし細かい点ではいろいろと疑問やコメントしたいことがあります。例えば「労働者は選択できず逆に企業にいいように利用されてしまう」といった表現や中小企業における長期雇用の実態認識等には疑問を持ちました。

まずは守(ら)れないルールについてです。そのようなものは意味がないだけでなく,恣意的な摘発が可能になるため,はっきり言って害悪であると思います。この点については再度議論します。

次に「いいように利用されてしまう」という表現についてです。問題のある人や行為が,労使双方に現実に存在していることは承知していますが,ルールの範囲内での行為を糾弾するような書き方だと冷静な議論が成立しない恐れがあるため望ましくないと思います。

おそらく経済学者の発想では,何らかの好ましくない行為が実際に観察された場合に,それを引き起こした人物を糾弾するのではなく,それを防ぐように誘導できなかった制度設計の問題として捉えることが一般的だと思います。

例えば労働に関するトラブルが発生したとするなら,まずなぜそれを防げなかったのかを私なら考えます。その上で,制度設計のミスが原因なら修正を検討しますし,防ぐことのコストが大きすぎたために「あえて防がなかった」のであれば,定められた罰則を淡々と課すしかありません。

僕がよく例に使うのは自動車事故による死傷者のケースです。まず事故を起こせば相応のペナルティーが課されますね。そして速度制限等の行為規制,自動車の安全基準やガードレールの整備などを総合的に利用して政策目標を達成しようとするのが現実的です。

そしてそれでも防げない事故が発生したとき,被害者側の感情も分かりますが,加害者を過度に糾弾するのではなく再発防止のために何が出来るかを考える方が建設的だと思うのです。もちろん最適な対策は,時代の変化や技術進歩によっても変化するので定期的な見直しが必要ですね。

続いて「雇用の流動化などはすでに長期雇用の条件を満たせなくなりつつある中小企業で構造的に起こっている」との記述がありましたが,端的に言えば事実誤認かと思います。中小ではそもそも長期雇用が例外的であったと捉えるべきではないでしょうか。例えば以下のページをご覧ください。
http://www.chusho.meti.go.jp/pamflet/hakusyo/h17/hakusho/html/17321400.html

また私が中期雇用も許すべきだとしている点について,澤井さんは大規模な制度変更だと捉えられているようにお見受けしますが,私はそうは考えてはいません。変更後も,おそらく大企業では長期雇用が続くと思いますし,これまで実質的に長期雇用ではなかった中小企業の労働者に関しては,現状を追認するというだけではなく「守れるルールになったのだからきちんと守らせる」ことが可能となると理解しています。

また交通事故の例に戻るなら,例えば高速道路で時速100キロメートルまでという速度制限に違反したとして摘発されたときに,現状では「運悪く取り締まりに引っかかった。今度は捕まらないように注意しよう」というような認識を持つドライバーが結構多く存在しているのではないでしょうか。しかし速度制限を実態に合わせて少し緩める代わりに取り締まりを厳格化することで,皆が新しいルールを守るようになれば,結果として現在よりも事故が減るのではないかと私は考えています。

これを労働の話に適用すると,守れるルールであり,かつ本当に守らなければならないルールとすることで,労働基準監督署による取り締まりにも一層の正統性が認められるのではないでしょうか。現状では,労働者が使用者の行為に不満を持っても「他もこんなものだろうな。訴え出ても得しないだろうな」と考えてしまう可能性があるのに対して,このラインを超えたら必ずアウトという線引きを明確にすることは,とても有用なことだと思います。

最後に小倉さんとの会話についてです。そもそも「説得」とは,相手に伝わる語りかけでなくては意味がありません。まあ京極夏彦の小説に出てくる京極堂の「憑物落し」のようなものですね。例えば僕が池田信夫さんと会話した記録のtogetter (http://togetter.com/li/90352) をご覧いただければ,相手に伝わるように注意深く言葉を選んでメッセージを投げていることがご理解いただけると思います。

これに対して小倉さんとのやり取りでは,もっと彼に伝わる言葉が別にあるはずなのに,それを選ばずに次々と「いかにも経済学者的な言葉」を投げつけているという意味において,私に非があることは認識しています。これは小倉さんからのメッセージが千本ノックのように次々と飛んでくるので言葉を選んでいる暇がないというのもありますが,このような乱闘をやると多くの人が面白がって見てくれるため,労働問題への関心が高まるという効果も少しは期待していたりします。まあ投げかけられる言葉への適切な対応が出来ていないという観点からは私の処理能力不足の問題であり,「関心が高まる」などと言うのは後付けの言い訳にしか聞こえないかもしれませんね。

私としては澤井さんから頂いたコメントだけでなく小倉さんからのツイート等も含めて,自分が長い間考えてきた今後の労働ルールのあり方について,どこが分かりにくくて誤解されやすいのかを理解する,そしてもちろん考え方自体に問題があれば修正するためにとても役に立っていると思い,皆さんに感謝しています。今後ともコメントをいただけること,また建設的な議論が出来ることを楽しみにしています。

コメントを頂き,ありがとうございました。

安藤至大


2011年1月17日月曜日

差別の経済分析

前回,差別をなくすためにはどのような施策が必要なのかという問題を議論し始めました。その際に重視したいのは,単純に差別行為を禁止すればそれで問題が解決するとは限らないため,様々な手段を組み合わせることが必要であるという視点です。また何らかの差別是正措置を採用したら事後評価を必ず行うことも重要だと考えています。

そもそも経済学における差別研究は,1950年代から始まりました。1957年にBeckerの有名な著書が出版され,嗜好に基づく差別が経済学の分析対象として初めて俎上に上ったのです。また1973年のArrowの論文などをきっかけとして統計的差別の存在にも注目が集まりました。

このように差別を嗜好に基づく差別と統計的差別とに大きく分けて扱うのは,経済学では標準的です。前回の記事では,嫌いだから差別をするとか偏見があるから差別するというものではなく,ロジックとしてより興味深い統計的差別を先に採り上げたため,このエントリは「机上の空論」であるといった評価もあったようです。しかし,嗜好に基づく差別についても追々検討していきますのでしばらくお待ちいただければと思います。

さて私は,上記の二種類のもの以外にも差別する理由があると考えて,2007年頃に"Implicit reverse discrimination in firms"というタイトルの研究を始めました。そこでは,差別主義者だと思われたくない上司が,少し能力が劣るくらいならあえてマイノリティーを昇進させる可能性があるという意味での企業内の逆差別を採り上げて分析しています。しかしこれは理論的にはMorris (2001)” Political correctness”のロジックを企業内の昇進競争に当てはめただけとしか自分でも評価できないので,残念ですが,いくつかの大学で研究報告をした後にとりあえず放置してあります。おもしろい発展のさせ方ができないかと,この問題も時々考えてはいるのですが。

このように差別問題に興味がある私としては,本業に差し支えない程度に議論を進めていきたいのですが,差別の問題は表現に気を使うためか執筆に時間がかかります。よって,10日ごとくらいにポストできるように気長に進めていきたいと考えています。

それでは。

2011年1月15日土曜日

差別は,それを法で直接的に禁止すれば防げるのか(1)

さて本日は,差別をいかに防ぐかについて考えたいと思います。まず差別を統計的差別と嗜好に基づく差別に分けて議論しましょう。そして後者はさらに心底嫌いだから一緒に働くと生産性が落ちるケースと単に食わず嫌いで雇ってみたら案外良かったとなりうるケースに分けられます

1, 統計的差別
1−1,統計的差別とは何か

まずは統計的差別から見ていきましょう。統計的差別とはどのようなものでしょうか。これは人々が何らかの選択を行う際に,選択肢の事前評価を詳細にするだけの時間がなかったり能力がなかったりする場合に,選択肢が持つ属性に注目して最も平均的な評価が高いと認識されるグループの中から選ぶことなどを意味しています。

例として,定年までの長期にわたって働いてくれる若手を求めている企業が採用活動を行う場合を考えてみましょう。このとき,個別には様々なケースがあるでしょうが平均的には男性よりも女性の方が結婚や出産,また配偶者の転勤等の理由で退職する可能性が高いとするなら,この企業は男性を雇いたいと考えるでしょう。ある女性求職者が「私は結婚しても出産しても仕事は続けます」と面接で言ったとしても,実際には退職してしまうかもしれません。

正規雇用の労働者が離職してしまうことを防ぐ手だてには,例えば年功序列賃金の導入や勤続年数により退職金を大きく変えることなどがあります。これらは給料から強制的に社内預金をさせられて,労働者側からの離職の場合には返してもらえない制度と理解することができます。

しかしこの社内預金を放棄しさえすれば,実質的には離職は自由です。このとき女性の求職者が離職しないことにコミット(確約する)ことができないことが採用されない理由といえます。これは嫌いだから差別をしているのではなく,単に企業が平均的に見て有利な選択をしているだけですね。

別のパターンも見ておきましょう。ここでは人気が高い企業の人事部が誰を面接試験に呼ぼうか考えているケースを想定します。有名大学の学生とそうでない学生を比べたときに,有名大学にも出来の悪い学生がいるでしょうし,そうでない大学にも優秀な学生はいますね。しかし平均的に見れば有名大学の方が優秀な人が多いと企業が認識している場合には,企業は有名大学の学生のみを面接試験に招待するかもしれません。

これも嫌いだから差別をしているのではなく,単に調査費用を節約するために採られている合理的な行動です。仮に面接を行えば誰が有能なのかを確実に判断できるとしても,2割の確率で優秀な人がいるグループではなく8割の確率のグループから選んだ方が効率的です。

1−2,外見以外はまったく同じであっても統計的差別は起こりうる

統計的差別とは,能力等にまったく差異がなくても発生しうるものです。例えば男女間に能力の差(男性の方が重いものを持てるとか)や行動の違い(寿退職をする可能性は女性の方が高い)などが全くなかったとしても起こりえるのです。

外見が赤か緑かだけの違いがある同じ人数の二つの種族があったとして,毎年企業経営者たち(これはどちらの種族でも良い)が採用活動を行う場合を考えてみましょう。ここで本当は労働者としての潜在的な能力は同じなのに,赤のほうが高いという誤った予想を経営者の一部が持っていたとします。このとき「緑は使えないので赤を多く採用したい」と考えるでしょう。

学校教育や職業訓練を受けている段階の若い人々がこの予想を知ると,行動に違いが出ます。赤は採用される可能性が高いので努力することの期待できる見返りが大きく,結果として努力します。一方で緑は,見返りが少ないので,同じ水準までは頑張りません。これは彼らにとって合理的な行動です。

このとき努力に差があるため,採用試験の時点での能力に差が生まれています。本当は潜在的能力に全く差がなくても,差があるという誤解があるだけで本当に差が生まれてしまいました。このように統計的差別とは自己実現的に起こりうるものなのです。

1−3,差別禁止法を制定するだけで統計的差別を防げるのか

さてこのような差別はどのように解消すれば良いのでしょうか。差別を直接的に禁止する法律を制定すれば,それでうまく行くのでしょうか。以下では差別禁止法の内容と役割について考えてみます。

まず法律が「能力に差がないのに色だけで差別をしてはいけない」というものであるときを考えてみましょう。これは能力に差があれば能力が高い方を採用して構わないということですね。先ほどの赤と緑のケースを引き続き考えると,人々が持つ「赤の方が優秀だ」という予想が変わらなければ,やはり努力選択に差が生まれ,結果として能力に違いがあるので,経営者にとっては赤を雇うのが合法かつ合理的行動です。差別はなくなりませんね。

では「最低でも一定割合(ただし5割未満の値)は緑を採用すること」という規制を追加したらどうなるでしょうか。罰則が十分に大きければ企業は緑をその水準まで採用するでしょうが,やはり赤の方が採用される確率が高いために努力と能力の差が生まれてしまいます。これでも差別はなくなりませんね。

このとき企業は「法律があるから仕方なく緑を雇っているけれど,本当は能力が高い赤を雇いたいなあ」と考えているのです。従って採用時の差別とは異なる別の差別が発生するかもしれません。会社にとって緑はいやいや採用させられた労働者なので「おまえは能力が低いのになぜうちの会社にいるんだ」といった視線にさらされることもあるでしょう。

それでは同数ずつ採用することを企業に義務づけたとしましょう。いま考えている設定の下では,このとき時間を通じて差別がなくなります。なぜでしょうか。

ある日を境に同数採用法が施行されると,企業は最初は能力が低い緑をいやいや雇うわけですが,それを見た次の世代は「赤緑が同じ確率で採用されるので頑張ろう!」と考えて同じ水準の努力が選択されます。よって企業が次世代を採用する段階では,経営者は「最近は赤も緑も同じだな」と考えるようになり,生来の能力に関する誤解を解くことになりました。いやあ,よかったですね。

それでは差別が解消された状況を見た政府が規制を撤廃しても問題ないのでしょうか。注意しないといけないのは,労働者が実際に働いたときに生み出す成果が彼らの能力だけで決まるのなら撤廃しても問題ありませんが,不確実性の影響を受けるときはまた差別がある状態に戻ってしまう可能性があるという点です。

ある経営者が,緑の社員が何か失敗したのを見て「やはり緑はだめだな」などと考えてしまうと,次世代の採用に影響が出ます。このとき赤緑間での採用確率が変わるので,その後の世代の努力選択に差が出てしまい,また差別のある世界に逆戻りです。つまり同数採用することを強制する法律が欠かせません。

さてここまでの話は,赤緑間で潜在能力に差がない場合を考えてきました。しかし現実は違います。例えば平均的な能力が同じでも男女間で仕事に向き不向きがありますし同性の中でも能力にバラツキがあるのが現実でしょう。また建設現場の仕事は重労働が多いので男性が多い方がうまくいくといったような,産業により最適な割合が異なることも考えられます。

以下では先ほどの赤と緑の話を用いて,種族内では能力の差がないが企業によって最適な赤緑比率が異なる場合を考えましょう。企業1にとっては赤と緑の能力が同じであるなら8:2の割合で,反対に企業2は2:8の割合で雇用するのがベストとします。このとき同数の採用を法律で強制していると,まずそのことによる生産性の低下が起こります。問題はそれだけではありません。人々の間に規制に対する不満が生まれます。赤も緑も能力は同じなのに,自分に合った仕事ができる企業への就職が阻害されているからです。

また仕事に向き不向きがある場合には,本当は赤を多く雇いたい企業で働く緑のうちの一部は「あいつは仕事ができないやつだ」と周囲から思われてしまいます。この場合にはやはり差別が発生してしまいますね。

ちなみにすべての企業が半数ずつ採用という形の規制であるのが問題であり,政府が企業1には8:2で,企2には2:8で雇うように規制すれば良いと考えるかもしれませんがそうではありません。まず政府に,各企業にとって最適な採用割合を把握する能力があるのでしょうか?おそらく無理でしょう。それではどうすればよいのでしょう。例えば企業側の申告を信じることができるでしょうか?

ここで企業側に赤と緑の潜在的能力に関する誤解がある状態に戻って考えます。企業1に「おまえの企業にとって最適な割合はどうなっているか」と聞けば,それは誤解を反映させた「うちは9:1です」などといったものになるはずです。おそらく申告は歪み,結果として赤が多く採用されることになります。このように,政府が完全な情報を持たない場合には差別禁止法を制定したり採用比率を強制したりしても統計的差別の問題は解決しません。

他に方法はないのでしょうか。いま考えているように赤緑間,そして赤緑内の潜在的能力が同一の設定の下では,実はもっと良い方法があるのです。それは企業に同数の採用を強制するのをやめて,まず教育訓練の段階にある子どもたちに対して一定の努力を強制すること,その上で能力に差がないことを試験データの公開等の様々な手法で宣伝することです。このとき採用が自由であるなら企業は能力が同じであることを前提として自社にとって望ましい割合の採用を行うでしょう。皆が幸せになれます。

差別があるときに「差別をしてはいけません」という法律を作ることや「男女は同じ人数だけ雇いなさい」と規制することを安易に考えがちですが,直接的な規制をすればすべて上手くいくわけではないのです。

では赤と緑の間に平均的な潜在的能力の差がある場合,そして赤同士,緑同士でも能力にバラツキがある場合に,どのような施策をとれば統計的差別を防ぐことができるでしょうか。考えてみてくださいね。

また能力の違いについての統計的差別だけでなく,正規雇用労働者の平均的離職確率が異なる場合に発生する採用に関する統計的差別についても対策を考えてみてください。場合によっては完全な差別解消はどうやっても無理だとあきらめざるを得ないかもしれませんが,その場合でもできるだけ望ましい状態に近づけるための施策を考えましょう。

というわけで続きはまた後日!

2011年1月10日月曜日

新年のごあいさつ

【以下はTwitter上で連投したもののコピーです】

あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。さて昨年12月27日に神戸労働法研究会に参加しました。大内伸哉先生のblogに,当日の内容がまとめられているので紹介します。
http://souchi.cocolog-nifty.com/blog/2010/12/post-5c3e.html

神戸では,まず石田信平さんによる報告を聞きました。仕事の位置づけとして,単に生活の糧を得るための手段と考えるのか,それとも社会参画や自己実現に欠かせないものであるため「公正」であることが求められるのかといった点からの議論が主に展開されました。

しかし私は,社会参画や自己実現を安易に仕事に結びつけることに問題があるように思います。おそらく現状では,一定以上の資産がある場合などを除けば,働かなければ生活できないからこそ仕事に社会参画や自己実現がリンクされる傾向があるのではないでしょうか。

最近,石油に似た油を効率的に生み出せる藻が発見されたそうです。仮に我が国がこの技術により非常に豊かになって,国民一人当たり毎月100万円のベーシックインカムが払えるようになったとしましょう。この場合でも仕事は自己実現のために必要と言えるのでしょうか。

さて,私は退職後の競業避止義務についての理論分析を報告しました。その際に,主張の骨子と強調したいトレードオフの関係などを先に理論モデルなしで説明しました。その上でなぜ経済学者は,このような主張をわざわざ理論モデルを使って表現するのかについても解説しました。

なぜ言葉でも説明可能なトレードオフの関係や政策的含意などを数式やモデルを用いて表現するのでしょうか。それは日常言語で詳細な場合分けや論理的帰結の検討をするのが難しいからです。

数学を使うから難しいというのは誤解で,(日常言語で考察するのが)難しいから数学を使うのです。その意味では,日常言語により詳細な検討を行っている法学者を私は尊敬しています。法学者もいろいろなので,全員を尊敬しているわけではありませんが(笑)

多くの労働法学者は,「経済学者は,もっと実際の法律や制度,そして紛争の実態を知るべきだ」と考えているのではないでしょうか。一方で経済学者は,「労働法学者は,規制の波及効果や,紛争にはならない通常の企業行動をもっと知るべきだ」と考えているように思います。

私の報告に対しても,実際の紛争や法制度に関する様々なコメントを頂きました。今後,法学と経済学の相互理解が進めば学問として楽しいだけでなく,真に労働者のためになる制度設計についてのより有益な議論できるようになるはずです。というわけで,また法学者の研究会に参加したいと思います。

2010年12月24日金曜日

正規・非正規の中間設けよ

【日本経済新聞 経済教室 2009年7月16日】

現在、雇用環境の急速な悪化が大きな問題になっている。「景気の現状は、厳しいながらも下げ止まっている」との見方がある一方、完全失業率は近いうちに過去最悪の5・5%を更新するとの予測も一部にある。新たな雇用の創出と質の向上に向けて、何が必要なのか。一見、労働者のためになりそうな最低賃金の大幅な引き上げや製造業への労働者派遣の禁止ではなく、二極化している雇用形態を多様化することこそが、実は効果的な施策である。

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わが国の現在の労働ルールでは、企業が労働者を雇う際の契約期間は、原則として3年までの短期か、期間の定めのないものかを選ぶことになっている。そして俗に終身雇用と呼ばれる定年までの長期雇用は、期間の定めのない雇用契約と解雇権濫用法理(労働契約法第16条)、整理解雇法理の組み合わせで実現されている。ただしこの定年までの長期雇用とは絶対的なものではない。整理解雇が行われる可能性があるし、会社自体が倒産してしまう可能性もあるからだ。

一方で長期雇用の場合には、職務内容・勤務地・残業の有無や程度・賃金といった労働条件決定の面では、使用者側が相当程度の自由度を持っていることが多い。このように、すべての面で安定した雇用契約というものは存在せず、労働者の視点からみると、雇用保障は強いが勤務地や職種などの働き方の自由度に乏しい正規雇用とその反対の非正規雇用の二類型に分かれているといえるだろう。これが労働者を二極化させている要因である。

ここで注意すべきなのは、すべての労働者が長期間にわたる雇用保障のみを最優先としているわけではないということだ。人によっては、子どもの教育や親の介護などの理由から勤務地の変更を受け入れられないかもしれない。働くことのできる時間帯に制限がある人やキャリア形成の観点から特定の職種へのこだわりを持つ人もいるだろう。だがこのように雇用保障以外の労働条件を重視すると、安定した仕事を探すのが難しくなってしまうのが現状である。

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そこでセーフティネットの充実を前提に、現在の二極化した契約を多様化させることを提案したい。ここでは図にあるような、雇用保障を正規雇用より比較的弱める代わりに労働条件決定に労働者が関与できる割合が大きい中間形態を労使が採用しやすくすることの効果を考えよう。

その前に、なぜ図の右上に相当する一見すると理想的に見える雇用形態の実現を目指さないのかという疑問に答えたい。それは、企業からの長期雇用保障があるときに、さらに労働条件の変更に労働者の個別合意が必要としてしまうと、結果的に労働条件が低いままで固定化されてしまうからだ。一度引き上げたら引き下げも難しく雇用契約を終了させることもできないならば、労働条件は長い間なかなか向上せず、定年に近くなってから帳尻を合わせることが選ばれるだろう。それを望まない労働者は多いはずだ。

では中間形態としてどんな契約を考えるべきか。労働需要を増やす観点で最も重要なのは、契約解除の要件を明確にすることだ。それによって例えば景気回復時や新しい地域に進出する際、安心して新規採用ができるようになる。

まず雇用期間は、原則3年までというルールを5年契約や10年契約も選択できるようにすることが必要だろう。また期間の定めのない契約であっても1年前に告知すれば解除可能な雇用関係なども考えられる。次に場所についても特定地域の事業所の閉鎖と共に雇用契約が解除されるなどの特約も許されるべきだろう。職務内容についても、あらかじめ定められた仕事がなくなったことを理由とする契約解除を可能にすることなどが考えられる。ここで重要なのは労使間で解雇について争いがあったときに、当事者同士が合意した契約に基づく判断を裁判所が行うことだ。予測可能性がなければ中間形態は機能しないのである。

この提案は、産業構造転換の加速や労働者の考え方の変化で長期雇用実現が難しくなったことを前提に、二択にすることで結果的に短期雇用を増やしてしまうのではなく、中期の仕事を増やすことでより安定的な雇用環境を実現するのが目的だ。中間形態が選びやすくなるからといって、労使双方が望む長期雇用が妨げられるわけではない。

むしろこれは結果的に長期雇用が実現されやすくなるための施策といえる。例えば5年契約を2回繰り返した上で、定年までの長期雇用を提示される労働者がいるかもしれないし、有能な労働者に対しては仮に当初の契約期間が5年であっても、1年目に長期雇用契約への切り替えが提示されるかもしれない。長期雇用は選択肢を二択に限定することによって実現するのではなく、あくまで当事者たちの合意によるステップアップを通じて実現することが大切だ。

こうした新たな雇用類型には、新規雇用が生まれやすくなる利点があったとしても、それらの新たな仕事は現在の長期雇用より質の面で劣るため容認できないという批判があるかもしれない。だが前述のとおり、すべての労働者が雇用保障のみを最優先課題にしているわけではないことを考えると、正規雇用こそがすべての人にとって最善の働き方とはいえないだろう。セーフティネットが整備され、企業間で労働者を引きつけるための競争が適切に行われているなら、労働条件が過度に悪化することも考えにくい。

そもそも雇用の安定の面から重要なのは、必ずしも特定の企業との間で長期雇用契約が結ばれているか否かではない。一つの企業のみで雇用の安定を図るのは難しくなっている。それだけに、途切れることなく職が見つかり収入が安定していて生活設計がたてやすいこと、またキャリア形成への投資が労使双方により十分に行われることこそが重要なのではないか。

確かに、このような中間形態が増えると、景気後退期には雇用契約が継続されずに打ち切られるケースが増え、失業者が増加する懸念があるだろう。しかし大事なのは、次の景気回復までの期間を短くし、新たな回復の初期に雇用が生まれやすい環境をつくることである。景気が少し上向いてきた時に、それが長期にわたる回復なのか、それとも一時的なのかが分からないことは多い。この時、契約解除要件が明確であれば、すでに雇用されている労働者の労働時間を増やすのではなく、新たに労働者を雇うことが選択されやすくなるのである。

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雇用の種類を増やすことは他の施策より労働者保護の効果が大きい。例えば最低賃金を大幅に引き上げても、その時給に見合う貢献ができない労働者は職を見つけるのが難しいだろう。製造業への労働者派遣を禁止しても、条件の良い雇用が増えることに直接的につながるわけではない。一方で契約の終了要件を明確にして雇用を増やせれば、実際に働くことを通じて技能が向上し、結果的に賃金の上昇やより条件がよい職への移行が実現しやすくなる。労働者の生活を向上させるには、仕事を通じた稼得能力の向上こそがとるべき道である。

労働問題は皆が当事者であり利害関係者であるため主張が対立しやすい。そこで求められるのは、自分だけでなく子どもや孫の世代の立場も考えながらルールづくりを進めるという視点だ。政治哲学者のジョン・ロールズは、自分の位置や立場を全く知らない「無知のベール」によって、対立する人々は合理的な利己心を発揮しすべての人への配慮がある正義の選択をすると主張した。総選挙を控え政策論議が活発化しているが、我々は真に労働者のためになる労働市場改革について冷静に検討しなくてはならない。

ここで紹介した考え方は総合研究開発機構(NIRA)が実施した研究プロジェクト「日本の雇用制度を考える」の成果として今年4月に公表したものに依拠している。短期の対策と長期的な労働ルールの再構築、そして制度の移行プロセスに関しより包括的な議論を深めるべきである。

2010年10月12日火曜日

長時間労働、規制は弊害も

【日本経済新聞 経済教室(2007年11月6日)制度をつくる「法と経済学」の視点(上)】


医学が裏付ける上限設定は妥当

近年、劣悪な労働環境に起因する心身の疾病や過労死・過労自殺の問題に注目が集まっている。パワーハラスメントに対し労働災害を引き起こす要因であると認定した十月十五日の東京地裁判決も、メディアで大きく報道された。製薬会社の男性社員が自殺したのは上司による暴言が理由であったとして労災認定が争われていた裁判である。

健康被害につながる長時間労働や過労死を防ぐのにどんな施策が有効なのか。本稿では法と経済学の手法を用い考えてみたい。これは当事者たちのインセンティブ(誘因)を重視するアプローチで、その際に重要なのは、施策の直接的効果だけでなく波及効果も考えることである。

まず労働時間を直接規制する場合の効果を考えよう。例えば週あたりの労働時間を五十時間までに制限するような法律は実効性を持つだろうか。業務の忙閑の差が大きいホワイトカラー労働者を想定すると、忙しい時期にこの上限を超える労働が必要になることもあるだろう。高い業績評価や昇進などを求める労働者は、上司から依頼された仕事量を規定時間内に終わらせることができなかった場合、記録に残さない形で仕事を続けるだろう。こうした当人同士の(暗黙の)合意や裏取引を取り締まることには費用がかかりすぎ、中途半端な時間規制は実効性を持たない。

ただし時間規制が全く役に立たないわけではない。医学的に裏付けのある数字を基に、たとえ上司と部下が合意していたとしても超えてはならない労働時間の上限を設定するのは意義がある。そして部下に健康被害が発生した際に、この強行規定に違反していた実態があれば、上司がその責任を負うとすれば良い。

割増賃金上げも長期的効果なく

ここで注意すべきは、過労死は長時間労働だけの問題ではなく、個人の性格や周囲との関係など複合要因で起こる点だ。例えば、一部の有能な労働者に仕事が集中することや、責任感が強かったり頼まれごとを断れなかったりする性格の労働者に周囲が仕事を押し付けることはよくある。そうした場合、労働時間に上限規制を課しても、労働者は自宅に持ち帰ってでも仕事をしてしまう。

次に残業に対する割増賃金率を引き上げることの効果を考えたい。ここで割増率を、既存の従業員に残業させるより新たに労働者を採用した方が企業にとって得になる程度に高い水準に設定したとしよう。このとき業務量が年間を通じて安定的な企業は、割増率が上がると、八人の労働者を十時間働かせるよりも十人の労働者を八時間働かせることを選ぶだろう。しかし、仕事量にはたいてい波があり、企業が一番忙しいときでも残業を命じる必要がないよう予備の人を抱えておくことは非現実的だ。よってこの施策で、残業は完全には無くならないが、残業時間の減少と労働者数の増加という短期的な効果は期待できる。

しかしこの効果は長続きしない。労働者の受ける待遇は、結局は市場の圧力で調整されてしまうからである。割増率が引き上げられると、企業は賃金総額があまり増えないようにするため基本給を実質的に切り下げる調整を行うだろう。基本給をすぐ引き下げるのは難しいとしても、物価上昇時に給与を引き上げないことによる実質的な切り下げは可能である。

このとき残業をしなければ以前と同じ水準の賃金を得られず、余暇より残業を望む労働者が増えるため、結果として平均的な残業時間は増えてしまう。与えられた仕事を法定労働時間内に終わらせることができる有能な労働者の実質的な賃金が下がるなどの副作用も考えられる。いずれにせよ割増賃金率による長時間労働の抑制は難しい。

時間規制や割増賃金率引き上げの効果があまり期待できないとすれば、どうすればよいか。ここで視点を変え、商業施設での火災により死傷者を出さないために何が必要かという別の問題を考えてみたい。そもそも火災を出さないことが重要だが、火災発生を前提とすると、まず避難出口が存在することは必須である。また出口への誘導路が分かりやすく、従業員が客を的確に誘導し、パニック時でも客が誘導路を認識できることなどが必要だろう。早期消火用のスプリンクラー設備なども役に立つ。

労働災害を防ぐ手法もこれと似ている。まず過重な労働に直面した労働者に出口が用意されている必要がある。外部労働市場が十分に整備されていれば、転職を考えたときに生活水準が極端に落ちる心配をせずに退職できるだろう。このとき年金が持ち運び可能であることや、労働者が失業保険の機能を良く知っていることも求められる。

一見、被害者である長時間労働者が退職を選択し、それに伴い生活水準が落ちるのは正義に反するようにも思える。しかしそうした考え方は波及効果を考えていない、いわば「事後の議論」だ。過重な労働環境に直面した労働者がそれほど負担なく転職できるようになると、そもそも上司が命令できる仕事の絶対量が減る。そして矛盾するようだが、転職が容易になることで労働条件が改善され、転職する必要がなくなるのである。

政府の役割は成功例の紹介

一方で、退職という合理的な判断ができなくなってしまった労働者の保護も考えるべきだ。それには過重労働が発生していることを当人と周囲が認知する必要があり、業務記録、産業医と連携した健康管理、匿名で受けられるカウンセリングサービスなどが有効だろう。

本来、管理職には業務分担の決定に際し、部下の肉体的・精神的負荷に常に配慮することが求められている。健康被害を出さないようにするには、管理職への動機付けが必要であろう。現在でも多くの企業で、健康被害を出した管理職は管理能力がないと見なされて降格や配置転換などの実質的な罰が事後的に与えられていると思われる。しかし被害を出さないために重要なのは事前にルールが良く認知されていることであり、管理職に対して罰則を明示的に周知しておく必要がある。

ただし中間管理職にすれば、上から与えられたノルマなどに追われている場合には、部下の健康状態を楽観視してしまうか、自分が業務を抱え込んでしまいかねない。直接の上司のみの動機づけだけは不十分であろう。

長時間労働や労働災害を防ぐには、労使の自発的な取り組みが重要だ。これまで見たように、法律や規制で現状を変えようとしても、当事者たちのインセンティブの観点から適切なものでなければ、結局は実効性のないものになってしまう。

こうしたときに有効な手段とは、労働基準法などに違反し被害を出した場合にはそれなりの罰則が企業に課されることのみを決めておき、実際の保護手法は労使の自発的な取り組みに任せることだ。このやり方の最大のメリットは、政策立案者の発想を超えた、世間に広く存在するアイデアが有効活用される点にある。そして政府の役割として求められるのは、自発的取り組みの成功例を紹介することだろう。

法と経済学は、問題が発生したことを前提に、それをどう裁くかという事後の視点ではなく、そもそも問題を発生させないための施策を考えるという事前の視点から物事を見るものだ。本稿で議論したように、労働者を保護するという目的に対し、一見有効に思える施策であっても実は当事者たちの行動の変化で効果が打ち消されてしまったり、副作用が大きすぎたりすることもあり得る。これは事前の視点から分析されて初めて分かる問題だ。

特定の問題に対し提示された、法と経済学的に正しい解決策が、人々の直観に反するものであるとき、そもそも提案者が抱いている目的が自分たちと違うのではないかと誤解されることも多い。提案する側の誠実な説明ももちろん必要だが、法と経済学に対する理解も望まれる。

2010年10月6日水曜日

反省してみる:その1

前回投稿したのは,2006年に日経の経済教室に掲載された記事です。これは神戸大学法学部(後期)の入試にも使われましたし,おそらく多くの方に読んでもらえたのではないかと妄想しているわけですが,現時点で振り返ると,理解が足りない点などがあるので反省してみようと思います。

全体的には,経済教室への執筆が初めてだったので舞い上がっていたのか(笑),言いたいことを詰め込み過ぎの感があります。そして内容については,もし書き直せるなら以下の5点を是非訂正・修正したいです。

1,まずホワイトカラーエグゼンプションを「一定の条件を満たすホワイトカラー労働者に対して、現行の労働時間規制を免除する制度」と書いているのは誤解を招く表現でした。規制のどの面を緩和してどの面を変えないのかを説明した方が良かったと思います。

2,次に労働組合の団体交渉について言及した際に「一方的に条件が切り下げられるとは限らない」と書いてしまっていますが,低い組合組織率とフリーライドの問題の等に触れておくべきでした。

3,さらに新卒・中途採用の市場における企業間競争が労働条件の維持改善に役立つという主張に関しては,時代や技術革新による環境の変化についても述べておくと分かりやすかったでしょう。例えばインターネットの発達により昔よりも雇用条件比較が容易になり「相場」の形成と認知が改善したのではないかと指摘するなどのことが考えられます。

4,また「労働契約法制に着目すると、解雇を容易にすることも実は労働者保護につながる可能性がある」と書いていますが,舌足らずでした。直後に整理解雇の話と書いていますが,懲戒解雇や普通解雇,また使用者による恣意的な解雇との区別をする必要があります。
現在は,下記のページに転載した昨年の経済教室に書いたように,また最近多くの論者が主張するように,契約の多様化が重要と考えています。そして多様な契約の中には,雇用保障の内容や程度がこれまでとは違う類型も含まれることになります。
http://lab.arish.nihon-u.ac.jp/munetomoando/nikkei090716.html

5,最後に「現在の正社員はこの点から言えば既得権者なのである」という記述も言い過ぎというか表現の選択を間違えています。現時点で書き直せるなら,現在正規雇用の人が非正規や求職中の人,そして若者に対して「努力が足りない」とか「自己責任」とだけ言うのはおかしいですよと述べた上で,労働者を守るとは現時点で正規雇用の人を守ることではないのですと書くでしょう。

以上,反省してみました。

2010年10月1日金曜日

労使の自治に委ねよ

【日本経済新聞 経済教室(2006年12月12日)労働契約を考える(上)】

賛否両論がある自律的労働時間

厚生労働省の労働政策審議会労働条件分科会で、ホワイトカラーを対象とした時間に縛られない働き方(日本版ホワイトカラー・エグゼンプション)の是非についての議論が進んでいる。ホワイトカラー・エグゼンプションとは、一定の条件を満たすホワイトカラー労働者に対して、現行の労働時間規制を免除する制度である。

日本経団連などは、自律的に働き、時間の長短でなく成果や能力などで評価されることがふさわしい労働者に向いているとして、この導入を求めている。一方で、制度の導入は賃金の切り下げと長時間労働をもたらしかねず到底容認できないとする反対意見も強い。以下では、制度導入が、低賃金・長時間労働につながるのかどうか考えてみたい。

まず賃金切り下げを考えてみよう。確かに制度導入により現状の賃金体系のままで残業代だけが削られれば、実質的な賃下げとなる。しかし、労働者の待遇は労使間の交渉によって決まり、交渉力を対等に近づけるためにも現実には労働組合の団体交渉など様々な対策が採られている。従って一方的に条件が切り下げられるとは限らない。

また企業は製品やサービスの市場だけでなく、労働者の新卒・中途採用の市場でも競争している点を考慮すべきだろう。競争の圧力があれば、企業は利潤を追求する経済主体であるからこそ一方的な条件の切り下げは行わないだろう。仮に他の企業が低い条件で労働者を処遇していれば、それよりも少し良い条件を提示することで有能な新卒者や中途入社の社員を獲得することができるからである。こうした企業間競争が働けば、労働者の待遇は適切な水準に上昇すると考えられる。

一方、企業間競争が不完全ならばそうはならない。つまり労働者保護に必要なのは、透明性の高い契約交渉を奨励し、労働条件を第三者にも見えやすくすることであり、これらを通じて採用市場における競争を維持することが肝要といえる。

時間規制導入は根拠ある数字で

労働者の待遇は、一律に規制せずに、可能ならばこれを市場に任せるほうが望ましい。なぜなら正当な待遇とは何かを一律に決めたり外部の人間が判断するのがそもそも難しいからである。例えば現状で当人の貢献に見あった収入を得ていないように思われる労働者がいても直ちに不当であるとはいえない。

現在の低賃金は年功序列賃金制度に基づくものかもしれないし、昇進によって事後的に報われる可能性を考慮すれば正当かもしれないからである。また経験と実績を積んで転職市場での自らの価値を上げることが、長時間働く当人の目的かもしれない。不当かどうかを判断する際に必要なのは、生涯全体で見た賃金と生産性との比較考量である。

エグゼンプションが導入されると無制限な労働が強制されるとの主張も同様に間違いである。労働者が情報をほとんど持っていない、または合理的に判断できない場合を除けば、労働市場での競争が問題をかなりの程度解決するだろう。先ほどと同様、ライバル企業が不当な長時間労働を課していれば、それより良い条件を提示することで優秀な労働者を引きつけることができるからだ。

以上で述べたように、エグゼンプションが導入されたらすぐにあらゆる企業がこれを活用し、賃金の大幅削減と長時間労働に直結すると安易に結論付けるのは間違いである。労働者を不当な低賃金や過酷な労働から守るには、一義的には労働市場における競争環境の整備が重要なのであり、その上で労使自治に任せるのが原則である。

ただしこれまでの議論が成立するのは、労働条件が悪ければ労働者が転職・離職を合理的に判断できる場合である。しかし、過労死が少なからず発生している現状を見れば、自分の健康状態をうまく管理できない、また精神的に追いつめられて適切な判断が下せない労働者も一定程度は存在しているだろう。

こうした人々を保護するには、週40時間といった医学的に根拠のない規制ではなく、データに基づく労働時間規制や健康状態の確認などが必要である。例えば2001年に示された厚労省の過労死認定基準によれば、残業時間が疾患発症前1ヶ月に月100時間あるいは同2-6ヶ月間にわたり月80時間を超えると、業務と発症との関連性が高いとされている。時間規制を検討する際は、このような裏付けのある数字を参考にする必要がある。

成長維持こそ労働者を守る

次に労働者を守るために他に何が効果的なのか考えてみよう。まず挙げられるのは高い経済成長を安定的に維持することである。現在の有効求人倍率と失業率を見ても分かる通り、景気が良くなれば企業間競争を通じて労働条件は改善する。そのためにも適切なマクロ経済政策が必要である。

また労働契約法制に着目すると、解雇を容易にすることも実は労働者保護につながる可能性がある。これは一見、矛盾するように聞こえるかもしれない。しかし整理解雇がしやすくなれば新たな正社員の採用が容易になるだけでなく、景気後退局面で企業の経営状態の回復が早まる効果も見込める。解雇を容易にするとの考え方は労働者の保護をしなくてよいという主張ではない。労働者の保護を個別企業に担わせるのではなく、雇用保険などを通じて一国全体で負担する方が多くの場合効率的になるのである。

繰り返しになるが、企業は利益を追求する経済主体であり、だからこそ競争環境さえ維持されていれば労働者に不当な取り扱いをしないのだ。仮にそのような行為を行なえば当該企業の評判が傷つき、優秀な社員から順に退職してしまい、さらには採用活動に大きな悪影響を与えるからである。

弱者保護は不可欠である。しかし、すべての労働者を弱者とみなすのは適当ではない。また、弱者保護という目的は正しくても、手段を適切に選ばなければ弊害が大きくなりすぎることになる。考えるべきは、労働時間規制や割増賃金の支払い義務が労働者の健康状態をコントロールする適切な方法なのかという点である。例えば残業手当の支払い義務が労働時間抑制に役立つとは限らない。残業手当には、使用者が労働者に残業をさせなくなる効果だけでなく、残業代があるからこそ労働者が望んで残業をするという可能性があるからだ。

また時間管理という手法が実効性のある制度かどうかも重要である。労働時間規制があっても、昇進や実績作りのために働きたい人は家に持ち帰ってでも仕事をするだろうから、タイムカードで管理すればそれで十分というものでもない。またなぜ残業代がきちんと請求されないのかも興味深い論点である。残業代の総額や請求可能な時間が決まっているから請求しないのではなく、自発的に申告していない可能性もあるのだ。例えば割り当てられた業務を残業なしでこなした方が優秀であると評価されて昇進できる確率が上がると労働者が考えている場合には、請求可能でも請求しないかもしれない。

労働時間や労働契約に対する規制を設けることは一見、労働者保護のように見える。しかしながら正社員への保護を強めれば、企業は代替労働力としてパート社員や派遣社員を利用するだろうし、非正規雇用から正規雇用への転換を強制すれば労働力を海外に求めるようになるだろう。このように結果として労働者全体の首を絞めることにもつながりかねない。

労働者の保護というときに誰が保護対象なのかも注意する必要がある。現時点で正社員として働いている労働者の保護を強化すると、今後の採用活動が抑制され、これから労働者になろうとする若者などは不利益を被ることになる。現在の正社員はこの点から言えば既得権者なのである。過労死など不幸な問題を引き起こさないためにも、理論とデータに基づいた制度設計が求められる。