2010年12月24日金曜日

正規・非正規の中間設けよ

【日本経済新聞 経済教室 2009年7月16日】

現在、雇用環境の急速な悪化が大きな問題になっている。「景気の現状は、厳しいながらも下げ止まっている」との見方がある一方、完全失業率は近いうちに過去最悪の5・5%を更新するとの予測も一部にある。新たな雇用の創出と質の向上に向けて、何が必要なのか。一見、労働者のためになりそうな最低賃金の大幅な引き上げや製造業への労働者派遣の禁止ではなく、二極化している雇用形態を多様化することこそが、実は効果的な施策である。

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わが国の現在の労働ルールでは、企業が労働者を雇う際の契約期間は、原則として3年までの短期か、期間の定めのないものかを選ぶことになっている。そして俗に終身雇用と呼ばれる定年までの長期雇用は、期間の定めのない雇用契約と解雇権濫用法理(労働契約法第16条)、整理解雇法理の組み合わせで実現されている。ただしこの定年までの長期雇用とは絶対的なものではない。整理解雇が行われる可能性があるし、会社自体が倒産してしまう可能性もあるからだ。

一方で長期雇用の場合には、職務内容・勤務地・残業の有無や程度・賃金といった労働条件決定の面では、使用者側が相当程度の自由度を持っていることが多い。このように、すべての面で安定した雇用契約というものは存在せず、労働者の視点からみると、雇用保障は強いが勤務地や職種などの働き方の自由度に乏しい正規雇用とその反対の非正規雇用の二類型に分かれているといえるだろう。これが労働者を二極化させている要因である。

ここで注意すべきなのは、すべての労働者が長期間にわたる雇用保障のみを最優先としているわけではないということだ。人によっては、子どもの教育や親の介護などの理由から勤務地の変更を受け入れられないかもしれない。働くことのできる時間帯に制限がある人やキャリア形成の観点から特定の職種へのこだわりを持つ人もいるだろう。だがこのように雇用保障以外の労働条件を重視すると、安定した仕事を探すのが難しくなってしまうのが現状である。

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そこでセーフティネットの充実を前提に、現在の二極化した契約を多様化させることを提案したい。ここでは図にあるような、雇用保障を正規雇用より比較的弱める代わりに労働条件決定に労働者が関与できる割合が大きい中間形態を労使が採用しやすくすることの効果を考えよう。

その前に、なぜ図の右上に相当する一見すると理想的に見える雇用形態の実現を目指さないのかという疑問に答えたい。それは、企業からの長期雇用保障があるときに、さらに労働条件の変更に労働者の個別合意が必要としてしまうと、結果的に労働条件が低いままで固定化されてしまうからだ。一度引き上げたら引き下げも難しく雇用契約を終了させることもできないならば、労働条件は長い間なかなか向上せず、定年に近くなってから帳尻を合わせることが選ばれるだろう。それを望まない労働者は多いはずだ。

では中間形態としてどんな契約を考えるべきか。労働需要を増やす観点で最も重要なのは、契約解除の要件を明確にすることだ。それによって例えば景気回復時や新しい地域に進出する際、安心して新規採用ができるようになる。

まず雇用期間は、原則3年までというルールを5年契約や10年契約も選択できるようにすることが必要だろう。また期間の定めのない契約であっても1年前に告知すれば解除可能な雇用関係なども考えられる。次に場所についても特定地域の事業所の閉鎖と共に雇用契約が解除されるなどの特約も許されるべきだろう。職務内容についても、あらかじめ定められた仕事がなくなったことを理由とする契約解除を可能にすることなどが考えられる。ここで重要なのは労使間で解雇について争いがあったときに、当事者同士が合意した契約に基づく判断を裁判所が行うことだ。予測可能性がなければ中間形態は機能しないのである。

この提案は、産業構造転換の加速や労働者の考え方の変化で長期雇用実現が難しくなったことを前提に、二択にすることで結果的に短期雇用を増やしてしまうのではなく、中期の仕事を増やすことでより安定的な雇用環境を実現するのが目的だ。中間形態が選びやすくなるからといって、労使双方が望む長期雇用が妨げられるわけではない。

むしろこれは結果的に長期雇用が実現されやすくなるための施策といえる。例えば5年契約を2回繰り返した上で、定年までの長期雇用を提示される労働者がいるかもしれないし、有能な労働者に対しては仮に当初の契約期間が5年であっても、1年目に長期雇用契約への切り替えが提示されるかもしれない。長期雇用は選択肢を二択に限定することによって実現するのではなく、あくまで当事者たちの合意によるステップアップを通じて実現することが大切だ。

こうした新たな雇用類型には、新規雇用が生まれやすくなる利点があったとしても、それらの新たな仕事は現在の長期雇用より質の面で劣るため容認できないという批判があるかもしれない。だが前述のとおり、すべての労働者が雇用保障のみを最優先課題にしているわけではないことを考えると、正規雇用こそがすべての人にとって最善の働き方とはいえないだろう。セーフティネットが整備され、企業間で労働者を引きつけるための競争が適切に行われているなら、労働条件が過度に悪化することも考えにくい。

そもそも雇用の安定の面から重要なのは、必ずしも特定の企業との間で長期雇用契約が結ばれているか否かではない。一つの企業のみで雇用の安定を図るのは難しくなっている。それだけに、途切れることなく職が見つかり収入が安定していて生活設計がたてやすいこと、またキャリア形成への投資が労使双方により十分に行われることこそが重要なのではないか。

確かに、このような中間形態が増えると、景気後退期には雇用契約が継続されずに打ち切られるケースが増え、失業者が増加する懸念があるだろう。しかし大事なのは、次の景気回復までの期間を短くし、新たな回復の初期に雇用が生まれやすい環境をつくることである。景気が少し上向いてきた時に、それが長期にわたる回復なのか、それとも一時的なのかが分からないことは多い。この時、契約解除要件が明確であれば、すでに雇用されている労働者の労働時間を増やすのではなく、新たに労働者を雇うことが選択されやすくなるのである。

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雇用の種類を増やすことは他の施策より労働者保護の効果が大きい。例えば最低賃金を大幅に引き上げても、その時給に見合う貢献ができない労働者は職を見つけるのが難しいだろう。製造業への労働者派遣を禁止しても、条件の良い雇用が増えることに直接的につながるわけではない。一方で契約の終了要件を明確にして雇用を増やせれば、実際に働くことを通じて技能が向上し、結果的に賃金の上昇やより条件がよい職への移行が実現しやすくなる。労働者の生活を向上させるには、仕事を通じた稼得能力の向上こそがとるべき道である。

労働問題は皆が当事者であり利害関係者であるため主張が対立しやすい。そこで求められるのは、自分だけでなく子どもや孫の世代の立場も考えながらルールづくりを進めるという視点だ。政治哲学者のジョン・ロールズは、自分の位置や立場を全く知らない「無知のベール」によって、対立する人々は合理的な利己心を発揮しすべての人への配慮がある正義の選択をすると主張した。総選挙を控え政策論議が活発化しているが、我々は真に労働者のためになる労働市場改革について冷静に検討しなくてはならない。

ここで紹介した考え方は総合研究開発機構(NIRA)が実施した研究プロジェクト「日本の雇用制度を考える」の成果として今年4月に公表したものに依拠している。短期の対策と長期的な労働ルールの再構築、そして制度の移行プロセスに関しより包括的な議論を深めるべきである。