1,全体の感想
最近,Twitter上でも評判の高い『Googleの脳みそ』(三宅伸吾著,日本経済新聞出版社)を有り難いことに著者からお送り頂きました。三宅さんとは直接お話ししたことも何度かあるため,途中まで読んでいた本を放り出して,早速ページをめくり始めました。
本書は,変化を過剰に怖がるのではなく,一歩前へ踏み出すことの重要性を主張しています。そして,様々な事例と多数の識者の意見を精緻に積み重ねることで,著者の意見を補強しつつ,変化のための意識改革を論じている意欲的な作品だと言えるでしょう。
私がお薦めする読み方は,まずエピローグから読むこと,続いて第8章を一通り読むこと,そして最初から通読することです。最初に第8章を読んだときには抵抗感を感じた方も,二回目に読むときには同意できる部分が増えているはずです。
2,「整理解雇の規制緩和」について
ただし本書のすべての意見に同意できるわけではありません。労働政策に関心がある私にとって特に気になったのは,第8章の第一の提言である「整理解雇の規制緩和」に関して,少し議論が荒いのではないかという点です。もちろん紙面の制約等の理由もあるでしょうが,気になった点について以下にコメントをまとめておきます。
2−1,整理解雇と普通解雇・懲戒解雇の切り分けを正確にすべき
まず整理解雇とそれ以外の解雇(普通解雇や懲戒解雇)の切り分けが不明確な部分があります。整理解雇とは,本書のp.292にあるように「会社の存続のため経営上の理由で労働契約を一方的に解約すること」ですね。しかし,第一の提言はあくまで整理解雇の規制緩和の話を書いているはずなのに,いつのまにか能力不足などの話などが紛れ込んだりしているのです。
例えばp.296に「いったん正規社員として採用してしまうと,職務遂行能力がないとわかった後でも簡単には解雇できないため」という記述があります。これは能力不足の問題なので,整理解雇法理ではなく解雇権濫用法理(現在の労働契約法第16条)の問題ですね。同じページに「怠けていてもなかなか解雇されない」とか,次のページには「出世を諦めた層にはモラル・ハザードが発生し」などという記述も「整理解雇の規制緩和」とは関係ないはずです。
仮に整理解雇の規制緩和を主張するだけでなく,能力不足や怠けていることを理由とする解雇を容易にすることを主張されるのであれば,分けて検討する必要があるでしょう。
2−2,能力不足の場合に解雇すべきか
それでは労働者に能力不足等があり,業務を遂行できない事情がある場合には,解雇をすることが使用者にとって最善の施策なのでしょうか。
まず現在でも,業務に関係のない(つまり労災ではない)病気等により仕事ができない労働者については普通解雇が可能です。しかし解雇するのが企業側としてベストの案だとは限りません。中小企業などでは難しいでしょうが,ある程度の規模を持つ企業なら,場合によっては,疾病等の問題があっても少なくとも一定期間は解雇しないことを約束することにより,リスクを嫌う労働者たちの忠誠心を引き出したり,リスクプレミアム分だけ賃金を引き下げたりできるかもしれません。
次に,働くことはできるものの能力不足の労働者に対しては,解雇より前に,配置転換や仕事の軽減,それに伴う賃金の切り下げ等の労働条件変更で対応することも可能なはずです。労働者にとっても,解雇されるよりは賃下げの方がましですね。よって解雇より先に賃下げ等を交渉するべきではないかと思うのです。
加えて,労働者の動機付けのためには,怠けたら解雇するぞという脅しだけが機能するわけではありません。出世競争や成果に基づくボーナスなども有効です。また出世を諦めた層であっても,成果給に基づく適切な動機付けは可能かもしれません。
2−3,そもそも整理解雇規制は何を規制しているのか
p.299において三宅さんは「整理解雇規制をすべてなくせと主張しているわけではないが,現在の整理解雇の規制はどう考えても過剰である」と述べています。ここに労働法を専門としている人々とそれ以外の人との間の考え方の差を理解する鍵があるかもしれません。
まず雇用法制への前提知識を持たずに本書を読んだ方は「整理解雇の規制緩和」という表現を見て「そうか,現在は整理解雇が規制されていて,規制が厳しすぎるから緩和が必要なのだな」と考えるのではないでしょうか。
しかし整理解雇の規制とは,実は整理解雇を規制するのではありません。本書p.293に挙げられている整理解雇の四要素をよく見れば分かるとおり,整理解雇ではない解雇を整理解雇だと言い張って実施することを規制しているのです。ここを間違えてはいけません。
あくまで整理解雇とは(少なくとも建前上は)労働者側に落ち度はなく,能力不足もなく行われるものです。これは時代の変化や消費者の好みの移り変わり,ライバル企業の成長,自然災害等の理由で,労働者に担当してもらう仕事が無くなってしまった際に行われる解雇なのです。
そして本来,正しい意味での整理解雇は禁止されていません。くどいようですが,整理解雇のふりをして,例えば労働組合を作ろうとした労働者をクビにすることが目的だったり能力不足の労働者をクビにすることが目的だったりする解雇が「これは整理解雇である」と主張された場合に,「それは整理解雇ではありませんよ」と裁判所が認定する基準が整理解雇の四要素なのです。
2−4,それでは「整理解雇の規制緩和」とは何か
ここまで読んで頂いた方の中には,疑問を感じている方もいらっしゃるかもしれません。それでは,そもそも「整理解雇の規制緩和」とは何を指しているのでしょうか?
まず整理解雇ではない解雇を整理解雇だと偽ることを合法にしようということではなさそうですね。また能力不足の労働者を解雇することを整理解雇に含めることにしようというのも無理があります。
ここに第一の解毒剤である「整理解雇の規制緩和」という主張の問題点があると私は考えています。
整理解雇である解雇がキチンとできるようにしようという意味で,言い換えれば,真っ当な整理解雇なのに,裁判所により不当解雇だと間違って認定されることを防ごうという意味で,整理解雇の四要素をより明確なものにしようというのであれば私は賛成です。
しかし三宅さんが能力不足の労働者を解雇しやすくすることが望ましいと考えているのであれば,整理解雇の規制緩和ではなく,直接的に普通解雇の緩和を主張する必要があるように思われます。
2−5,中期雇用制度と労働特区について
p.304以降の,中期雇用制度と労働特区についての提言には賛成です。ただし,これらの提言を正確に理解するためには,一点だけ注意が必要です。
それは,三宅さんは既存の契約と法改正後の新規契約を明確にわけて議論しているという点です。この「中期雇用制度と労働特区を」の前までは,既存の長期雇用契約に問題があるので,既存契約の一方的解消としての解雇を容易にしてはどうかという問題を扱っていましたね。しかし「中期雇用制度と労働特区を」以降は,今後の新規契約について扱っています(これには既存契約が切れた段階での再契約も含みます)。
そして既存契約の問題をどのように解決・軽減するかと新規契約としてどのような形態を可能にすべきかについては,丁寧に切り分けて理解する必要があります。
例えば,これまでの二極化した雇用形態を中期雇用も可能にすることにより今後は多様化させることを主張していますが,これと仕事が無くなったことや能力不足を理由とする解雇を容易にすることの間には整合性の面で問題があります。なぜなら新規契約を多様化させたら,今後は契約を守ることが容易になるはずなので,一方的な破棄をせずに守るべきだからです。
例えば契約期間に注目すると,これまでは実質的には3年までか定年までかの二択でした。このとき仮に定年までの長期雇用を約束したとすると,長い期間の間には事情が変わることもあるでしょう。このことがこれまでは解雇を正当化する根拠だったわけです。しかし今後については,多様な契約期間が設定できるようになり,加えて期間終了とともに雇用契約が当然に終了するようになるなら,期間終了前に一方的に契約を破棄する(=解雇)の必要性は下がりますね。
このように,既存契約と新規契約を分けて検討していることをより強調したほうが,少なくとも後半の中期雇用制度と労働特区に関する提言の賛同者は増えるのではないかと感じました。
3,まとめ
私は本書を非常に興味深く拝読しました。ただし雇用政策については,新規契約の多様化(三宅さんの言葉を用いれば,中期雇用制度と労働特区の実現)については同意しますが,既存契約を今後どのように扱うべきかについては,三宅さんの主張がまだ明確ではないように感じました。
能力不足を理由とする解雇をどこまで可能にすべきなのかについて,私は2−2で述べたように,解雇を容易にすることよりも,賃下げも含む労働条件の切り下げを容易にすることのほうが実現可能性が高く,かつ既存の労働者の負担も少ないと考えています。三宅さんの見解はいかがでしょうか?
安藤様 誠にありがとうございます。ご指摘等につき、改めてご返答させていただきます。取り急ぎ、御礼まで。
返信削除整理解雇(雇用契約の中途解約)が可能な否かは、企業の実情、雇用契約の内容等に照らして総合判断すべきと思いますので、立法論としては、現行法の規律で十分であり、裁判所が柔軟に解釈することにより対応すべきと考えます。
返信削除普通解雇(能力不足)についても同様に裁判所が柔軟に解釈することにより対応すべきと考えます。ここでは、配転の可能性・労働条件の切り下げの可能性・能力不足の程度・本人の認識・他の従業員に与える影響などが考慮要因となります。
① 著者が整理解雇と普通解雇を区別しているのは明らか(同著292p10行目)
返信削除② 著者と安藤氏の共通点:整理解雇の文言上の定義「会社の存続のため経営上の理由で労働契約を一方的に解約すること」
③ 著者と安藤氏の差:安藤氏は整理解雇の実務対象が(整理解雇が悪用されないように)固定的であるべきと考えているのに対し、著者は判例変更により、ゆらぐべきだと考えている点
④ 安藤氏が、著者の整理解雇の議論に普通解雇の話が紛れ込んでいると指摘する理由として考えられるのは③の差に起因すると思われる。整理解雇の4要素の「解雇対象者選定の合理性」のなかでも「職務能力」を考慮できるはず。また、参照:「成績不良社員の正規従業員のリストラ解雇」『菅野和夫 労働法 第九版』483p
⑤ 社会全体としての雇用の維持(←企業の国際競争力の確保)には、賃下げ、普通解雇や整理解雇の規制緩和も必要。これは現行労働法制で既に雇用関係に入ったものの話。
⑥ 本著のなかの、労働特区などは、社会全体としての雇用の創出、維持、拡大に向けた創設されるべき新たな労働法制下で、新たに労働契約に入るものを対象にした規律の話。⑤、⑥双方が必要。
⑦ モラルハザードを防ぎ、生産性を高めるにはどのような「規律」が必要なのか。安定の中に成長はない。これが著者の主張ベースではないのだろか。
junpatentさん,コメントありがとうございました。
返信削除整理解雇・普通解雇ともに「裁判所が柔軟に解釈することにより対応すべき」とのことですが,そうなると予見可能性が低いことによる問題があるように思います。junpatentさんは,既存の契約も新規契約もこれまで通りで変える必要がないとお考えでしょうか?
匿名さん,コメントありがとうございます。
返信削除まず私が今回のコメントを書いた理由について述べておきます。私は,三宅さんが第一の提言の後半で主張している新規契約の多様化や,それをいきなり我が国全体に適用するのは実際には難しいために特区を活用することなど結論の方向性には大部分で賛成しています。また既存契約についても,解雇に関する規制をより明確なものにすべきだという考えを持っています。
しかし近い意見を持っているからこそ,現行法の理解や論理展開におかしいと考える点があれば,きちんと指摘すべきだと考えました。それが無いと,このような方向性に批判的な人たちから,前提となる理解がおかしいので検討する必要など無い見解だと見なされてしまうことを懸念していました。
続いて個々のコメントへのお返事です。
1, 確かに整理解雇と普通解雇の区別はp.292で言及されています。しかし,その後のpp.296--300あたりでは,やはり「職務遂行能力が無い」とか「付加価値を生めなくなった」等の記述がありますね。ここで三宅さんが整理解雇の規制緩和だけでなく普通解雇の規制緩和も提言されているのであれば問題ないのですが,前者のみ提言されているように見えたので「切り分けを正確にすべき」と述べました。
2,3, 私の認識では,三宅さんと安藤の差は,能力が足りないと使用者側が考えている労働者を解雇することが「会社の存続のために」必要な整理解雇にあたるか否かだと思います。私はこれを整理解雇とは考えていません。
4, 整理解雇の四要素にある「解雇対象者選定の合理性」のなかでは確かに「職務能力」を考慮できます。しかしこれは整理解雇が必要な状況において,一定数の労働者を解雇する時にどのように対象者を選定するかの話であり,企業全体の業績にも部門の業績にも問題がない時に,相対的に能力が劣る労働者を解雇して新規・中途採用に置き換えることが正当化されるか否かとは関係ありません。
5, ここで匿名さんが「賃下げ、普通解雇や整理解雇の規制緩和も必要」と書かれていますが,三宅さんがこのように主張しているのであれば(同意できるかどうかは別として)整合性が取れていると思います。しかし整理解雇の規制緩和とだけ題されていたのが私が引っかかったポイントです。ちなみに既存の雇用契約をどの程度維持するかについて,私は整理解雇の要件のさらなる明確化と労働条件の変更を容易にすることには賛成です。
6, 既存契約と新規契約の両方を考えるべきと言う点は賛成です。
7, モラルハザードを防ぐ手段は解雇だけではありません。また「安定の中に成長はない」と匿名さんは書いていますが,不安定にすれば成長するとも限りません。人々が受け入れられる形で,上手く変化に適応する制度設計が必要ですね。
安藤先生のコメントをみて
返信削除[総論部分]
「解雇に関する規制をより明確なものにすべきだという考えを持っています」(安藤氏) ←日本を元気にする、できる方向での「明確化」であれば、誰もが大賛成。
[各論]
1 普通解雇の規制緩和について、「Googleの脳みそ」は言及していないようですが、著者がそのような認識を持っている可能性は高い、と思いました。
4 「整理解雇の四要素にある「解雇対象者選定の合理性」のなかでは確かに「職務能力」を考慮できます。しかしこれは整理解雇が必要な状況において,一定数の労働者を解雇する時にどのように対象者を選定するかの話であり,企業全体の業績にも部門の業績にも問題がない時に,相対的に能力が劣る労働者を解雇して新規・中途採用に置き換えることが正当化されるか否かとは関係ありません。」(安藤氏)← ご指摘の通りですが、ポイントは「整理解雇が必要な状況」がデジタルなものではなく、司法裁量に事実上、かなりゆだねられており、その「ゆらぎ」を筆者は裁判官に期待しているように思いました(社会の一般的認識よりは、近時の判例は実際にはゆらいでいるようですけれど)。
5 「賃下げ、普通解雇や整理解雇の規制緩和も必要」と書かれていますが,三宅さんがこのように主張しているのであれば(同意できるかどうかは別として)整合性が取れていると思います。しかし整理解雇の規制緩和とだけ題されていたのが私が引っかかったポイントです。
← 学術論文ならタイトルはいくら長くても確かにいいでしょうね。筆者が、論文を書くことを期待します。独占禁止法と弁護士法に関する論文(かつて、弁護士事業者団体による各種の営業制限の取り決めと、競争法違反の可能性)を書いているようですし。
5 「整理解雇の要件のさらなる明確化と労働条件の変更を容易にすることには賛成です。」(安藤氏)。←ポイントは、明確化の方向性と、明確にした場合の環境変化に伴う機動性をどう確保するのか。環境変化にルールが適合しなければ社会にとってマイナスです。(例:iPadで、本を読もうとしたら、電子版がなく、デジタル化代行業者に頼んだら、代行業者が非難されている。代行業者が、勝手にデジタル・データをアップして、課金して儲けてるなら、その人、捕まえれば済む話のような気がするのです。著作権法、よく知りませんが、ユーザーのことを無視したルールはおかしいです)
「労働条件の変更を容易にする」 ← 政治的、実務的に可能なら、速やかにそうすべきでしょうね。
7 「モラルハザードを防ぐ手段は解雇だけではありません。また「安定の中に成長はない」と匿名さんは書いていますが,不安定にすれば成長するとも限りません。」(安藤氏) → 逆も真なり。安定にすれば成長するとも限りませんね。一般に、絶対安定は、人を怠惰にします。旧社会主義国の公共サービスを想起するまでもありません。結局、社会主義という「国体」そのものが崩壊しました。
言葉でいえば、「適度の不安定」が大事ですが、どのレベルが「適度」なのかは、それぞれの論者が実際に目にする風景などに左右されるように思います。労働市場が蒸発した大震災の被災地の「今」であれば、どんな仕事でも「仕事があれば、安定」。シルバー民主主義のために何も変わらない日本の現状から、リニアに10年後の「日本の惨状」を予測し、そこから足元を見つめれば、「日本は『過度』に安定し、安定的かつ着実に沈没する」-----と筆者は考えているのではないかと。安定的な経済不成長では困ります。年金、もらえなくなりますし。
「人々が受け入れられる形で,上手く変化に適応する制度設計が必要ですね。」(安藤氏)← まったく、ご指摘の通り! しかし、ある環境下では、受け入れ可能ギリギリの嫌なことを強いる制度実現への勇気も、子や孫の世代のために、為政者、法執行者、ルール裁定者、学者には必要だと思います。
Twitterをみてたら、こんな言葉がありました。「沈鬱な社会は、黙する我々のため」
匿名さん,コメントありがとうございました。
返信削除私は細かい点に引っかかってしまいましたが,そもそも本書は,学者向けに書かれた厳密な論文ではなく,一般の多くの人に向けた檄文である点に留意すべきでした。三宅さんの主張と匿名さんから頂いたコメントを参考に,私が議論の精緻化に貢献できる点がないかを考えることにします。