前回投稿したのは,2007年に日経の経済教室に掲載された記事です。このエントリは「反省してみる」と題しましたが,読み返したところ特に反省することもないように思い,それならば誰か納得できる批判をしてくれていないかとGoogleで検索することを思い立ちました。
とりあえずタイトルの「長時間労働 規制は弊害も」で調べると,早速「loisi r- spaceの日記」なるページが最初にヒットしました。
http://d.hatena.ne.jp/loisil-space/20071107/p1
感想:いろいろと批判されているようですね。でも解説するのも面倒だし,まあいいか。
2010年10月14日木曜日
2010年10月12日火曜日
長時間労働、規制は弊害も
【日本経済新聞 経済教室(2007年11月6日)制度をつくる「法と経済学」の視点(上)】
医学が裏付ける上限設定は妥当
近年、劣悪な労働環境に起因する心身の疾病や過労死・過労自殺の問題に注目が集まっている。パワーハラスメントに対し労働災害を引き起こす要因であると認定した十月十五日の東京地裁判決も、メディアで大きく報道された。製薬会社の男性社員が自殺したのは上司による暴言が理由であったとして労災認定が争われていた裁判である。
健康被害につながる長時間労働や過労死を防ぐのにどんな施策が有効なのか。本稿では法と経済学の手法を用い考えてみたい。これは当事者たちのインセンティブ(誘因)を重視するアプローチで、その際に重要なのは、施策の直接的効果だけでなく波及効果も考えることである。
まず労働時間を直接規制する場合の効果を考えよう。例えば週あたりの労働時間を五十時間までに制限するような法律は実効性を持つだろうか。業務の忙閑の差が大きいホワイトカラー労働者を想定すると、忙しい時期にこの上限を超える労働が必要になることもあるだろう。高い業績評価や昇進などを求める労働者は、上司から依頼された仕事量を規定時間内に終わらせることができなかった場合、記録に残さない形で仕事を続けるだろう。こうした当人同士の(暗黙の)合意や裏取引を取り締まることには費用がかかりすぎ、中途半端な時間規制は実効性を持たない。
ただし時間規制が全く役に立たないわけではない。医学的に裏付けのある数字を基に、たとえ上司と部下が合意していたとしても超えてはならない労働時間の上限を設定するのは意義がある。そして部下に健康被害が発生した際に、この強行規定に違反していた実態があれば、上司がその責任を負うとすれば良い。
割増賃金上げも長期的効果なく
ここで注意すべきは、過労死は長時間労働だけの問題ではなく、個人の性格や周囲との関係など複合要因で起こる点だ。例えば、一部の有能な労働者に仕事が集中することや、責任感が強かったり頼まれごとを断れなかったりする性格の労働者に周囲が仕事を押し付けることはよくある。そうした場合、労働時間に上限規制を課しても、労働者は自宅に持ち帰ってでも仕事をしてしまう。
次に残業に対する割増賃金率を引き上げることの効果を考えたい。ここで割増率を、既存の従業員に残業させるより新たに労働者を採用した方が企業にとって得になる程度に高い水準に設定したとしよう。このとき業務量が年間を通じて安定的な企業は、割増率が上がると、八人の労働者を十時間働かせるよりも十人の労働者を八時間働かせることを選ぶだろう。しかし、仕事量にはたいてい波があり、企業が一番忙しいときでも残業を命じる必要がないよう予備の人を抱えておくことは非現実的だ。よってこの施策で、残業は完全には無くならないが、残業時間の減少と労働者数の増加という短期的な効果は期待できる。
しかしこの効果は長続きしない。労働者の受ける待遇は、結局は市場の圧力で調整されてしまうからである。割増率が引き上げられると、企業は賃金総額があまり増えないようにするため基本給を実質的に切り下げる調整を行うだろう。基本給をすぐ引き下げるのは難しいとしても、物価上昇時に給与を引き上げないことによる実質的な切り下げは可能である。
このとき残業をしなければ以前と同じ水準の賃金を得られず、余暇より残業を望む労働者が増えるため、結果として平均的な残業時間は増えてしまう。与えられた仕事を法定労働時間内に終わらせることができる有能な労働者の実質的な賃金が下がるなどの副作用も考えられる。いずれにせよ割増賃金率による長時間労働の抑制は難しい。
時間規制や割増賃金率引き上げの効果があまり期待できないとすれば、どうすればよいか。ここで視点を変え、商業施設での火災により死傷者を出さないために何が必要かという別の問題を考えてみたい。そもそも火災を出さないことが重要だが、火災発生を前提とすると、まず避難出口が存在することは必須である。また出口への誘導路が分かりやすく、従業員が客を的確に誘導し、パニック時でも客が誘導路を認識できることなどが必要だろう。早期消火用のスプリンクラー設備なども役に立つ。
労働災害を防ぐ手法もこれと似ている。まず過重な労働に直面した労働者に出口が用意されている必要がある。外部労働市場が十分に整備されていれば、転職を考えたときに生活水準が極端に落ちる心配をせずに退職できるだろう。このとき年金が持ち運び可能であることや、労働者が失業保険の機能を良く知っていることも求められる。
一見、被害者である長時間労働者が退職を選択し、それに伴い生活水準が落ちるのは正義に反するようにも思える。しかしそうした考え方は波及効果を考えていない、いわば「事後の議論」だ。過重な労働環境に直面した労働者がそれほど負担なく転職できるようになると、そもそも上司が命令できる仕事の絶対量が減る。そして矛盾するようだが、転職が容易になることで労働条件が改善され、転職する必要がなくなるのである。
政府の役割は成功例の紹介
一方で、退職という合理的な判断ができなくなってしまった労働者の保護も考えるべきだ。それには過重労働が発生していることを当人と周囲が認知する必要があり、業務記録、産業医と連携した健康管理、匿名で受けられるカウンセリングサービスなどが有効だろう。
本来、管理職には業務分担の決定に際し、部下の肉体的・精神的負荷に常に配慮することが求められている。健康被害を出さないようにするには、管理職への動機付けが必要であろう。現在でも多くの企業で、健康被害を出した管理職は管理能力がないと見なされて降格や配置転換などの実質的な罰が事後的に与えられていると思われる。しかし被害を出さないために重要なのは事前にルールが良く認知されていることであり、管理職に対して罰則を明示的に周知しておく必要がある。
ただし中間管理職にすれば、上から与えられたノルマなどに追われている場合には、部下の健康状態を楽観視してしまうか、自分が業務を抱え込んでしまいかねない。直接の上司のみの動機づけだけは不十分であろう。
長時間労働や労働災害を防ぐには、労使の自発的な取り組みが重要だ。これまで見たように、法律や規制で現状を変えようとしても、当事者たちのインセンティブの観点から適切なものでなければ、結局は実効性のないものになってしまう。
こうしたときに有効な手段とは、労働基準法などに違反し被害を出した場合にはそれなりの罰則が企業に課されることのみを決めておき、実際の保護手法は労使の自発的な取り組みに任せることだ。このやり方の最大のメリットは、政策立案者の発想を超えた、世間に広く存在するアイデアが有効活用される点にある。そして政府の役割として求められるのは、自発的取り組みの成功例を紹介することだろう。
法と経済学は、問題が発生したことを前提に、それをどう裁くかという事後の視点ではなく、そもそも問題を発生させないための施策を考えるという事前の視点から物事を見るものだ。本稿で議論したように、労働者を保護するという目的に対し、一見有効に思える施策であっても実は当事者たちの行動の変化で効果が打ち消されてしまったり、副作用が大きすぎたりすることもあり得る。これは事前の視点から分析されて初めて分かる問題だ。
特定の問題に対し提示された、法と経済学的に正しい解決策が、人々の直観に反するものであるとき、そもそも提案者が抱いている目的が自分たちと違うのではないかと誤解されることも多い。提案する側の誠実な説明ももちろん必要だが、法と経済学に対する理解も望まれる。
医学が裏付ける上限設定は妥当
近年、劣悪な労働環境に起因する心身の疾病や過労死・過労自殺の問題に注目が集まっている。パワーハラスメントに対し労働災害を引き起こす要因であると認定した十月十五日の東京地裁判決も、メディアで大きく報道された。製薬会社の男性社員が自殺したのは上司による暴言が理由であったとして労災認定が争われていた裁判である。
健康被害につながる長時間労働や過労死を防ぐのにどんな施策が有効なのか。本稿では法と経済学の手法を用い考えてみたい。これは当事者たちのインセンティブ(誘因)を重視するアプローチで、その際に重要なのは、施策の直接的効果だけでなく波及効果も考えることである。
まず労働時間を直接規制する場合の効果を考えよう。例えば週あたりの労働時間を五十時間までに制限するような法律は実効性を持つだろうか。業務の忙閑の差が大きいホワイトカラー労働者を想定すると、忙しい時期にこの上限を超える労働が必要になることもあるだろう。高い業績評価や昇進などを求める労働者は、上司から依頼された仕事量を規定時間内に終わらせることができなかった場合、記録に残さない形で仕事を続けるだろう。こうした当人同士の(暗黙の)合意や裏取引を取り締まることには費用がかかりすぎ、中途半端な時間規制は実効性を持たない。
ただし時間規制が全く役に立たないわけではない。医学的に裏付けのある数字を基に、たとえ上司と部下が合意していたとしても超えてはならない労働時間の上限を設定するのは意義がある。そして部下に健康被害が発生した際に、この強行規定に違反していた実態があれば、上司がその責任を負うとすれば良い。
割増賃金上げも長期的効果なく
ここで注意すべきは、過労死は長時間労働だけの問題ではなく、個人の性格や周囲との関係など複合要因で起こる点だ。例えば、一部の有能な労働者に仕事が集中することや、責任感が強かったり頼まれごとを断れなかったりする性格の労働者に周囲が仕事を押し付けることはよくある。そうした場合、労働時間に上限規制を課しても、労働者は自宅に持ち帰ってでも仕事をしてしまう。
次に残業に対する割増賃金率を引き上げることの効果を考えたい。ここで割増率を、既存の従業員に残業させるより新たに労働者を採用した方が企業にとって得になる程度に高い水準に設定したとしよう。このとき業務量が年間を通じて安定的な企業は、割増率が上がると、八人の労働者を十時間働かせるよりも十人の労働者を八時間働かせることを選ぶだろう。しかし、仕事量にはたいてい波があり、企業が一番忙しいときでも残業を命じる必要がないよう予備の人を抱えておくことは非現実的だ。よってこの施策で、残業は完全には無くならないが、残業時間の減少と労働者数の増加という短期的な効果は期待できる。
しかしこの効果は長続きしない。労働者の受ける待遇は、結局は市場の圧力で調整されてしまうからである。割増率が引き上げられると、企業は賃金総額があまり増えないようにするため基本給を実質的に切り下げる調整を行うだろう。基本給をすぐ引き下げるのは難しいとしても、物価上昇時に給与を引き上げないことによる実質的な切り下げは可能である。
このとき残業をしなければ以前と同じ水準の賃金を得られず、余暇より残業を望む労働者が増えるため、結果として平均的な残業時間は増えてしまう。与えられた仕事を法定労働時間内に終わらせることができる有能な労働者の実質的な賃金が下がるなどの副作用も考えられる。いずれにせよ割増賃金率による長時間労働の抑制は難しい。
時間規制や割増賃金率引き上げの効果があまり期待できないとすれば、どうすればよいか。ここで視点を変え、商業施設での火災により死傷者を出さないために何が必要かという別の問題を考えてみたい。そもそも火災を出さないことが重要だが、火災発生を前提とすると、まず避難出口が存在することは必須である。また出口への誘導路が分かりやすく、従業員が客を的確に誘導し、パニック時でも客が誘導路を認識できることなどが必要だろう。早期消火用のスプリンクラー設備なども役に立つ。
労働災害を防ぐ手法もこれと似ている。まず過重な労働に直面した労働者に出口が用意されている必要がある。外部労働市場が十分に整備されていれば、転職を考えたときに生活水準が極端に落ちる心配をせずに退職できるだろう。このとき年金が持ち運び可能であることや、労働者が失業保険の機能を良く知っていることも求められる。
一見、被害者である長時間労働者が退職を選択し、それに伴い生活水準が落ちるのは正義に反するようにも思える。しかしそうした考え方は波及効果を考えていない、いわば「事後の議論」だ。過重な労働環境に直面した労働者がそれほど負担なく転職できるようになると、そもそも上司が命令できる仕事の絶対量が減る。そして矛盾するようだが、転職が容易になることで労働条件が改善され、転職する必要がなくなるのである。
政府の役割は成功例の紹介
一方で、退職という合理的な判断ができなくなってしまった労働者の保護も考えるべきだ。それには過重労働が発生していることを当人と周囲が認知する必要があり、業務記録、産業医と連携した健康管理、匿名で受けられるカウンセリングサービスなどが有効だろう。
本来、管理職には業務分担の決定に際し、部下の肉体的・精神的負荷に常に配慮することが求められている。健康被害を出さないようにするには、管理職への動機付けが必要であろう。現在でも多くの企業で、健康被害を出した管理職は管理能力がないと見なされて降格や配置転換などの実質的な罰が事後的に与えられていると思われる。しかし被害を出さないために重要なのは事前にルールが良く認知されていることであり、管理職に対して罰則を明示的に周知しておく必要がある。
ただし中間管理職にすれば、上から与えられたノルマなどに追われている場合には、部下の健康状態を楽観視してしまうか、自分が業務を抱え込んでしまいかねない。直接の上司のみの動機づけだけは不十分であろう。
長時間労働や労働災害を防ぐには、労使の自発的な取り組みが重要だ。これまで見たように、法律や規制で現状を変えようとしても、当事者たちのインセンティブの観点から適切なものでなければ、結局は実効性のないものになってしまう。
こうしたときに有効な手段とは、労働基準法などに違反し被害を出した場合にはそれなりの罰則が企業に課されることのみを決めておき、実際の保護手法は労使の自発的な取り組みに任せることだ。このやり方の最大のメリットは、政策立案者の発想を超えた、世間に広く存在するアイデアが有効活用される点にある。そして政府の役割として求められるのは、自発的取り組みの成功例を紹介することだろう。
法と経済学は、問題が発生したことを前提に、それをどう裁くかという事後の視点ではなく、そもそも問題を発生させないための施策を考えるという事前の視点から物事を見るものだ。本稿で議論したように、労働者を保護するという目的に対し、一見有効に思える施策であっても実は当事者たちの行動の変化で効果が打ち消されてしまったり、副作用が大きすぎたりすることもあり得る。これは事前の視点から分析されて初めて分かる問題だ。
特定の問題に対し提示された、法と経済学的に正しい解決策が、人々の直観に反するものであるとき、そもそも提案者が抱いている目的が自分たちと違うのではないかと誤解されることも多い。提案する側の誠実な説明ももちろん必要だが、法と経済学に対する理解も望まれる。
2010年10月8日金曜日
問題23
大規模なマンションが分譲される際に,売主がすべての部屋を同時に売り出すのではなく,第1期・第2期・最終期などと分けて販売されることがよく見られます。これはなぜでしょうか。
売主が合理的であるなら,モデルルームを設置する期間が長くなることや新聞への折り込み広告を複数回出す必要があること等のデメリットを超えるメリットがあるからこのような販売手法を採用しているはずです。
なぜ売主はこのような販売方法を採用するのかについて「需要関数」という言葉を用いて説明しなさい。
売主が合理的であるなら,モデルルームを設置する期間が長くなることや新聞への折り込み広告を複数回出す必要があること等のデメリットを超えるメリットがあるからこのような販売手法を採用しているはずです。
なぜ売主はこのような販売方法を採用するのかについて「需要関数」という言葉を用いて説明しなさい。
2010年10月7日木曜日
問題22
私たちが家探しをする際には不動産屋さんに案内と仲介を依頼することが一般的です。例えば家を借りる際には,まずネットで調べてから不動産屋さんを訪問するか,または街の不動産屋さんに直接行って,間取り図・写真・家賃等の情報を多数見せてもらい,その中から候補となる物件を選択するといった手順を踏むことになります。そして実際に複数の部屋を見せてもらった上で入居する物件を選択します。その際に車で複数の物件を案内してもらう等のサービスを不動産屋さんから受けることになります。
家探しを手伝ってくれる不動産屋さんに対して,東京都では成約したときのみ家賃の1.05ヶ月を仲介手数料として支払うことが一般的だと思われます。しかしこのことに疑問を持ったことはないでしょうか。例えばネットで希望する物件を絞り込んだ上で一カ所だけ中を見せてもらい契約する場合と多くの物件を案内してもらう場合とでは不動産屋さんが負担する調査費用や案内にかかる経費が異なります。また例えば家賃が8万円の物件と16万円の物件では仲介手数料が倍になるわけですが,見せてもらう件数が同じならば経費はほぼ同じではないでしょうか。
このように考えると内覧する件数に関わらず1.05ヶ月分の仲介手数料が設定されていること,また様々なサービスを受けたとしても,その不動産屋さんを窓口として契約しない場合には費用がまったく発生しないことは理不尽に思えるのではないでしょうか。なぜ内覧した件数×単価+契約手続き費用といった報酬体系になっていないのでしょうか。この疑問に関連する以下の問いに答えなさい。
(1) 仲介手数料が先述のように「内覧した件数×単価+契約手続き費用」となっていた場合にどのような問題が起こるでしょうか。仲介する不動産屋さんのインセンティブの観点から検討しなさい。
(2) なぜ仲介手数料が毎月の家賃の高低に関わりなく一律に1.05ヶ月分になっているのか,価格差別という用語を用いて説明しなさい。
家探しを手伝ってくれる不動産屋さんに対して,東京都では成約したときのみ家賃の1.05ヶ月を仲介手数料として支払うことが一般的だと思われます。しかしこのことに疑問を持ったことはないでしょうか。例えばネットで希望する物件を絞り込んだ上で一カ所だけ中を見せてもらい契約する場合と多くの物件を案内してもらう場合とでは不動産屋さんが負担する調査費用や案内にかかる経費が異なります。また例えば家賃が8万円の物件と16万円の物件では仲介手数料が倍になるわけですが,見せてもらう件数が同じならば経費はほぼ同じではないでしょうか。
このように考えると内覧する件数に関わらず1.05ヶ月分の仲介手数料が設定されていること,また様々なサービスを受けたとしても,その不動産屋さんを窓口として契約しない場合には費用がまったく発生しないことは理不尽に思えるのではないでしょうか。なぜ内覧した件数×単価+契約手続き費用といった報酬体系になっていないのでしょうか。この疑問に関連する以下の問いに答えなさい。
注,なお我が国では法律(宅地建物取引業法第四十六条第一項)と下のアドレスの告示により,不動産業者が賃貸物件を仲介する際に一方から得られる報酬の上限が賃料の一ヶ月分までとされています。以下の問題は,まずこのような法律が存在していないものとして,仲介業者が自由に仲介手数料を設定できる場合を想定して解答してみてください。その上で,法の経済分析に関心がある方は,なぜ法律が上限を定めているのか(また,なぜ上限だけを定めているのか),そして現在の規制の水準は適切か,さらにはそもそもこのような規制は必要か否かについても検討することをお勧めします。
(1) 仲介手数料が先述のように「内覧した件数×単価+契約手続き費用」となっていた場合にどのような問題が起こるでしょうか。仲介する不動産屋さんのインセンティブの観点から検討しなさい。
(2) なぜ仲介手数料が毎月の家賃の高低に関わりなく一律に1.05ヶ月分になっているのか,価格差別という用語を用いて説明しなさい。
問題の公開
これまで政策研究大学院大学(GRIPS)で開講している講義の定期試験問題のみを公開してきましたが,今後出題するつもりでいた問題も少しずつ掲載していきたいと思います。
このように修正したら問題がもっと面白くなるといったコメントは大歓迎です。また,万が一コメント欄に解答案を書いて頂いたりなんてことがあれば,お返事を差し上げます。期待しないで待っています(笑)
このように修正したら問題がもっと面白くなるといったコメントは大歓迎です。また,万が一コメント欄に解答案を書いて頂いたりなんてことがあれば,お返事を差し上げます。期待しないで待っています(笑)
2010年10月6日水曜日
反省してみる:その1
前回投稿したのは,2006年に日経の経済教室に掲載された記事です。これは神戸大学法学部(後期)の入試にも使われましたし,おそらく多くの方に読んでもらえたのではないかと妄想しているわけですが,現時点で振り返ると,理解が足りない点などがあるので反省してみようと思います。
全体的には,経済教室への執筆が初めてだったので舞い上がっていたのか(笑),言いたいことを詰め込み過ぎの感があります。そして内容については,もし書き直せるなら以下の5点を是非訂正・修正したいです。
1,まずホワイトカラーエグゼンプションを「一定の条件を満たすホワイトカラー労働者に対して、現行の労働時間規制を免除する制度」と書いているのは誤解を招く表現でした。規制のどの面を緩和してどの面を変えないのかを説明した方が良かったと思います。
2,次に労働組合の団体交渉について言及した際に「一方的に条件が切り下げられるとは限らない」と書いてしまっていますが,低い組合組織率とフリーライドの問題の等に触れておくべきでした。
3,さらに新卒・中途採用の市場における企業間競争が労働条件の維持改善に役立つという主張に関しては,時代や技術革新による環境の変化についても述べておくと分かりやすかったでしょう。例えばインターネットの発達により昔よりも雇用条件比較が容易になり「相場」の形成と認知が改善したのではないかと指摘するなどのことが考えられます。
4,また「労働契約法制に着目すると、解雇を容易にすることも実は労働者保護につながる可能性がある」と書いていますが,舌足らずでした。直後に整理解雇の話と書いていますが,懲戒解雇や普通解雇,また使用者による恣意的な解雇との区別をする必要があります。
現在は,下記のページに転載した昨年の経済教室に書いたように,また最近多くの論者が主張するように,契約の多様化が重要と考えています。そして多様な契約の中には,雇用保障の内容や程度がこれまでとは違う類型も含まれることになります。
http://lab.arish.nihon-u.ac.jp/munetomoando/nikkei090716.html
5,最後に「現在の正社員はこの点から言えば既得権者なのである」という記述も言い過ぎというか表現の選択を間違えています。現時点で書き直せるなら,現在正規雇用の人が非正規や求職中の人,そして若者に対して「努力が足りない」とか「自己責任」とだけ言うのはおかしいですよと述べた上で,労働者を守るとは現時点で正規雇用の人を守ることではないのですと書くでしょう。
以上,反省してみました。
全体的には,経済教室への執筆が初めてだったので舞い上がっていたのか(笑),言いたいことを詰め込み過ぎの感があります。そして内容については,もし書き直せるなら以下の5点を是非訂正・修正したいです。
1,まずホワイトカラーエグゼンプションを「一定の条件を満たすホワイトカラー労働者に対して、現行の労働時間規制を免除する制度」と書いているのは誤解を招く表現でした。規制のどの面を緩和してどの面を変えないのかを説明した方が良かったと思います。
2,次に労働組合の団体交渉について言及した際に「一方的に条件が切り下げられるとは限らない」と書いてしまっていますが,低い組合組織率とフリーライドの問題の等に触れておくべきでした。
3,さらに新卒・中途採用の市場における企業間競争が労働条件の維持改善に役立つという主張に関しては,時代や技術革新による環境の変化についても述べておくと分かりやすかったでしょう。例えばインターネットの発達により昔よりも雇用条件比較が容易になり「相場」の形成と認知が改善したのではないかと指摘するなどのことが考えられます。
4,また「労働契約法制に着目すると、解雇を容易にすることも実は労働者保護につながる可能性がある」と書いていますが,舌足らずでした。直後に整理解雇の話と書いていますが,懲戒解雇や普通解雇,また使用者による恣意的な解雇との区別をする必要があります。
現在は,下記のページに転載した昨年の経済教室に書いたように,また最近多くの論者が主張するように,契約の多様化が重要と考えています。そして多様な契約の中には,雇用保障の内容や程度がこれまでとは違う類型も含まれることになります。
http://lab.arish.nihon-u.ac.jp/munetomoando/nikkei090716.html
5,最後に「現在の正社員はこの点から言えば既得権者なのである」という記述も言い過ぎというか表現の選択を間違えています。現時点で書き直せるなら,現在正規雇用の人が非正規や求職中の人,そして若者に対して「努力が足りない」とか「自己責任」とだけ言うのはおかしいですよと述べた上で,労働者を守るとは現時点で正規雇用の人を守ることではないのですと書くでしょう。
以上,反省してみました。
2010年10月1日金曜日
労使の自治に委ねよ
【日本経済新聞 経済教室(2006年12月12日)労働契約を考える(上)】
賛否両論がある自律的労働時間
厚生労働省の労働政策審議会労働条件分科会で、ホワイトカラーを対象とした時間に縛られない働き方(日本版ホワイトカラー・エグゼンプション)の是非についての議論が進んでいる。ホワイトカラー・エグゼンプションとは、一定の条件を満たすホワイトカラー労働者に対して、現行の労働時間規制を免除する制度である。
日本経団連などは、自律的に働き、時間の長短でなく成果や能力などで評価されることがふさわしい労働者に向いているとして、この導入を求めている。一方で、制度の導入は賃金の切り下げと長時間労働をもたらしかねず到底容認できないとする反対意見も強い。以下では、制度導入が、低賃金・長時間労働につながるのかどうか考えてみたい。
まず賃金切り下げを考えてみよう。確かに制度導入により現状の賃金体系のままで残業代だけが削られれば、実質的な賃下げとなる。しかし、労働者の待遇は労使間の交渉によって決まり、交渉力を対等に近づけるためにも現実には労働組合の団体交渉など様々な対策が採られている。従って一方的に条件が切り下げられるとは限らない。
また企業は製品やサービスの市場だけでなく、労働者の新卒・中途採用の市場でも競争している点を考慮すべきだろう。競争の圧力があれば、企業は利潤を追求する経済主体であるからこそ一方的な条件の切り下げは行わないだろう。仮に他の企業が低い条件で労働者を処遇していれば、それよりも少し良い条件を提示することで有能な新卒者や中途入社の社員を獲得することができるからである。こうした企業間競争が働けば、労働者の待遇は適切な水準に上昇すると考えられる。
一方、企業間競争が不完全ならばそうはならない。つまり労働者保護に必要なのは、透明性の高い契約交渉を奨励し、労働条件を第三者にも見えやすくすることであり、これらを通じて採用市場における競争を維持することが肝要といえる。
時間規制導入は根拠ある数字で
労働者の待遇は、一律に規制せずに、可能ならばこれを市場に任せるほうが望ましい。なぜなら正当な待遇とは何かを一律に決めたり外部の人間が判断するのがそもそも難しいからである。例えば現状で当人の貢献に見あった収入を得ていないように思われる労働者がいても直ちに不当であるとはいえない。
現在の低賃金は年功序列賃金制度に基づくものかもしれないし、昇進によって事後的に報われる可能性を考慮すれば正当かもしれないからである。また経験と実績を積んで転職市場での自らの価値を上げることが、長時間働く当人の目的かもしれない。不当かどうかを判断する際に必要なのは、生涯全体で見た賃金と生産性との比較考量である。
エグゼンプションが導入されると無制限な労働が強制されるとの主張も同様に間違いである。労働者が情報をほとんど持っていない、または合理的に判断できない場合を除けば、労働市場での競争が問題をかなりの程度解決するだろう。先ほどと同様、ライバル企業が不当な長時間労働を課していれば、それより良い条件を提示することで優秀な労働者を引きつけることができるからだ。
以上で述べたように、エグゼンプションが導入されたらすぐにあらゆる企業がこれを活用し、賃金の大幅削減と長時間労働に直結すると安易に結論付けるのは間違いである。労働者を不当な低賃金や過酷な労働から守るには、一義的には労働市場における競争環境の整備が重要なのであり、その上で労使自治に任せるのが原則である。
ただしこれまでの議論が成立するのは、労働条件が悪ければ労働者が転職・離職を合理的に判断できる場合である。しかし、過労死が少なからず発生している現状を見れば、自分の健康状態をうまく管理できない、また精神的に追いつめられて適切な判断が下せない労働者も一定程度は存在しているだろう。
こうした人々を保護するには、週40時間といった医学的に根拠のない規制ではなく、データに基づく労働時間規制や健康状態の確認などが必要である。例えば2001年に示された厚労省の過労死認定基準によれば、残業時間が疾患発症前1ヶ月に月100時間あるいは同2-6ヶ月間にわたり月80時間を超えると、業務と発症との関連性が高いとされている。時間規制を検討する際は、このような裏付けのある数字を参考にする必要がある。
成長維持こそ労働者を守る
次に労働者を守るために他に何が効果的なのか考えてみよう。まず挙げられるのは高い経済成長を安定的に維持することである。現在の有効求人倍率と失業率を見ても分かる通り、景気が良くなれば企業間競争を通じて労働条件は改善する。そのためにも適切なマクロ経済政策が必要である。
また労働契約法制に着目すると、解雇を容易にすることも実は労働者保護につながる可能性がある。これは一見、矛盾するように聞こえるかもしれない。しかし整理解雇がしやすくなれば新たな正社員の採用が容易になるだけでなく、景気後退局面で企業の経営状態の回復が早まる効果も見込める。解雇を容易にするとの考え方は労働者の保護をしなくてよいという主張ではない。労働者の保護を個別企業に担わせるのではなく、雇用保険などを通じて一国全体で負担する方が多くの場合効率的になるのである。
繰り返しになるが、企業は利益を追求する経済主体であり、だからこそ競争環境さえ維持されていれば労働者に不当な取り扱いをしないのだ。仮にそのような行為を行なえば当該企業の評判が傷つき、優秀な社員から順に退職してしまい、さらには採用活動に大きな悪影響を与えるからである。
弱者保護は不可欠である。しかし、すべての労働者を弱者とみなすのは適当ではない。また、弱者保護という目的は正しくても、手段を適切に選ばなければ弊害が大きくなりすぎることになる。考えるべきは、労働時間規制や割増賃金の支払い義務が労働者の健康状態をコントロールする適切な方法なのかという点である。例えば残業手当の支払い義務が労働時間抑制に役立つとは限らない。残業手当には、使用者が労働者に残業をさせなくなる効果だけでなく、残業代があるからこそ労働者が望んで残業をするという可能性があるからだ。
また時間管理という手法が実効性のある制度かどうかも重要である。労働時間規制があっても、昇進や実績作りのために働きたい人は家に持ち帰ってでも仕事をするだろうから、タイムカードで管理すればそれで十分というものでもない。またなぜ残業代がきちんと請求されないのかも興味深い論点である。残業代の総額や請求可能な時間が決まっているから請求しないのではなく、自発的に申告していない可能性もあるのだ。例えば割り当てられた業務を残業なしでこなした方が優秀であると評価されて昇進できる確率が上がると労働者が考えている場合には、請求可能でも請求しないかもしれない。
労働時間や労働契約に対する規制を設けることは一見、労働者保護のように見える。しかしながら正社員への保護を強めれば、企業は代替労働力としてパート社員や派遣社員を利用するだろうし、非正規雇用から正規雇用への転換を強制すれば労働力を海外に求めるようになるだろう。このように結果として労働者全体の首を絞めることにもつながりかねない。
労働者の保護というときに誰が保護対象なのかも注意する必要がある。現時点で正社員として働いている労働者の保護を強化すると、今後の採用活動が抑制され、これから労働者になろうとする若者などは不利益を被ることになる。現在の正社員はこの点から言えば既得権者なのである。過労死など不幸な問題を引き起こさないためにも、理論とデータに基づいた制度設計が求められる。
賛否両論がある自律的労働時間
厚生労働省の労働政策審議会労働条件分科会で、ホワイトカラーを対象とした時間に縛られない働き方(日本版ホワイトカラー・エグゼンプション)の是非についての議論が進んでいる。ホワイトカラー・エグゼンプションとは、一定の条件を満たすホワイトカラー労働者に対して、現行の労働時間規制を免除する制度である。
日本経団連などは、自律的に働き、時間の長短でなく成果や能力などで評価されることがふさわしい労働者に向いているとして、この導入を求めている。一方で、制度の導入は賃金の切り下げと長時間労働をもたらしかねず到底容認できないとする反対意見も強い。以下では、制度導入が、低賃金・長時間労働につながるのかどうか考えてみたい。
まず賃金切り下げを考えてみよう。確かに制度導入により現状の賃金体系のままで残業代だけが削られれば、実質的な賃下げとなる。しかし、労働者の待遇は労使間の交渉によって決まり、交渉力を対等に近づけるためにも現実には労働組合の団体交渉など様々な対策が採られている。従って一方的に条件が切り下げられるとは限らない。
また企業は製品やサービスの市場だけでなく、労働者の新卒・中途採用の市場でも競争している点を考慮すべきだろう。競争の圧力があれば、企業は利潤を追求する経済主体であるからこそ一方的な条件の切り下げは行わないだろう。仮に他の企業が低い条件で労働者を処遇していれば、それよりも少し良い条件を提示することで有能な新卒者や中途入社の社員を獲得することができるからである。こうした企業間競争が働けば、労働者の待遇は適切な水準に上昇すると考えられる。
一方、企業間競争が不完全ならばそうはならない。つまり労働者保護に必要なのは、透明性の高い契約交渉を奨励し、労働条件を第三者にも見えやすくすることであり、これらを通じて採用市場における競争を維持することが肝要といえる。
時間規制導入は根拠ある数字で
労働者の待遇は、一律に規制せずに、可能ならばこれを市場に任せるほうが望ましい。なぜなら正当な待遇とは何かを一律に決めたり外部の人間が判断するのがそもそも難しいからである。例えば現状で当人の貢献に見あった収入を得ていないように思われる労働者がいても直ちに不当であるとはいえない。
現在の低賃金は年功序列賃金制度に基づくものかもしれないし、昇進によって事後的に報われる可能性を考慮すれば正当かもしれないからである。また経験と実績を積んで転職市場での自らの価値を上げることが、長時間働く当人の目的かもしれない。不当かどうかを判断する際に必要なのは、生涯全体で見た賃金と生産性との比較考量である。
エグゼンプションが導入されると無制限な労働が強制されるとの主張も同様に間違いである。労働者が情報をほとんど持っていない、または合理的に判断できない場合を除けば、労働市場での競争が問題をかなりの程度解決するだろう。先ほどと同様、ライバル企業が不当な長時間労働を課していれば、それより良い条件を提示することで優秀な労働者を引きつけることができるからだ。
以上で述べたように、エグゼンプションが導入されたらすぐにあらゆる企業がこれを活用し、賃金の大幅削減と長時間労働に直結すると安易に結論付けるのは間違いである。労働者を不当な低賃金や過酷な労働から守るには、一義的には労働市場における競争環境の整備が重要なのであり、その上で労使自治に任せるのが原則である。
ただしこれまでの議論が成立するのは、労働条件が悪ければ労働者が転職・離職を合理的に判断できる場合である。しかし、過労死が少なからず発生している現状を見れば、自分の健康状態をうまく管理できない、また精神的に追いつめられて適切な判断が下せない労働者も一定程度は存在しているだろう。
こうした人々を保護するには、週40時間といった医学的に根拠のない規制ではなく、データに基づく労働時間規制や健康状態の確認などが必要である。例えば2001年に示された厚労省の過労死認定基準によれば、残業時間が疾患発症前1ヶ月に月100時間あるいは同2-6ヶ月間にわたり月80時間を超えると、業務と発症との関連性が高いとされている。時間規制を検討する際は、このような裏付けのある数字を参考にする必要がある。
成長維持こそ労働者を守る
次に労働者を守るために他に何が効果的なのか考えてみよう。まず挙げられるのは高い経済成長を安定的に維持することである。現在の有効求人倍率と失業率を見ても分かる通り、景気が良くなれば企業間競争を通じて労働条件は改善する。そのためにも適切なマクロ経済政策が必要である。
また労働契約法制に着目すると、解雇を容易にすることも実は労働者保護につながる可能性がある。これは一見、矛盾するように聞こえるかもしれない。しかし整理解雇がしやすくなれば新たな正社員の採用が容易になるだけでなく、景気後退局面で企業の経営状態の回復が早まる効果も見込める。解雇を容易にするとの考え方は労働者の保護をしなくてよいという主張ではない。労働者の保護を個別企業に担わせるのではなく、雇用保険などを通じて一国全体で負担する方が多くの場合効率的になるのである。
繰り返しになるが、企業は利益を追求する経済主体であり、だからこそ競争環境さえ維持されていれば労働者に不当な取り扱いをしないのだ。仮にそのような行為を行なえば当該企業の評判が傷つき、優秀な社員から順に退職してしまい、さらには採用活動に大きな悪影響を与えるからである。
弱者保護は不可欠である。しかし、すべての労働者を弱者とみなすのは適当ではない。また、弱者保護という目的は正しくても、手段を適切に選ばなければ弊害が大きくなりすぎることになる。考えるべきは、労働時間規制や割増賃金の支払い義務が労働者の健康状態をコントロールする適切な方法なのかという点である。例えば残業手当の支払い義務が労働時間抑制に役立つとは限らない。残業手当には、使用者が労働者に残業をさせなくなる効果だけでなく、残業代があるからこそ労働者が望んで残業をするという可能性があるからだ。
また時間管理という手法が実効性のある制度かどうかも重要である。労働時間規制があっても、昇進や実績作りのために働きたい人は家に持ち帰ってでも仕事をするだろうから、タイムカードで管理すればそれで十分というものでもない。またなぜ残業代がきちんと請求されないのかも興味深い論点である。残業代の総額や請求可能な時間が決まっているから請求しないのではなく、自発的に申告していない可能性もあるのだ。例えば割り当てられた業務を残業なしでこなした方が優秀であると評価されて昇進できる確率が上がると労働者が考えている場合には、請求可能でも請求しないかもしれない。
労働時間や労働契約に対する規制を設けることは一見、労働者保護のように見える。しかしながら正社員への保護を強めれば、企業は代替労働力としてパート社員や派遣社員を利用するだろうし、非正規雇用から正規雇用への転換を強制すれば労働力を海外に求めるようになるだろう。このように結果として労働者全体の首を絞めることにもつながりかねない。
労働者の保護というときに誰が保護対象なのかも注意する必要がある。現時点で正社員として働いている労働者の保護を強化すると、今後の採用活動が抑制され、これから労働者になろうとする若者などは不利益を被ることになる。現在の正社員はこの点から言えば既得権者なのである。過労死など不幸な問題を引き起こさないためにも、理論とデータに基づいた制度設計が求められる。
今後の方針
このBlogでは,これまで私が政策研究大学院大学(GRIPS)で開講している「政策分析のためのミクロ経済学I/II」で出題した試験問題を公開してきました。しかし過去問は一通り掲載してしまったので,今後は様々な内容の記事を書いていきたいと思います。
登録:
投稿 (Atom)