2011年1月15日土曜日

差別は,それを法で直接的に禁止すれば防げるのか(1)

さて本日は,差別をいかに防ぐかについて考えたいと思います。まず差別を統計的差別と嗜好に基づく差別に分けて議論しましょう。そして後者はさらに心底嫌いだから一緒に働くと生産性が落ちるケースと単に食わず嫌いで雇ってみたら案外良かったとなりうるケースに分けられます

1, 統計的差別
1−1,統計的差別とは何か

まずは統計的差別から見ていきましょう。統計的差別とはどのようなものでしょうか。これは人々が何らかの選択を行う際に,選択肢の事前評価を詳細にするだけの時間がなかったり能力がなかったりする場合に,選択肢が持つ属性に注目して最も平均的な評価が高いと認識されるグループの中から選ぶことなどを意味しています。

例として,定年までの長期にわたって働いてくれる若手を求めている企業が採用活動を行う場合を考えてみましょう。このとき,個別には様々なケースがあるでしょうが平均的には男性よりも女性の方が結婚や出産,また配偶者の転勤等の理由で退職する可能性が高いとするなら,この企業は男性を雇いたいと考えるでしょう。ある女性求職者が「私は結婚しても出産しても仕事は続けます」と面接で言ったとしても,実際には退職してしまうかもしれません。

正規雇用の労働者が離職してしまうことを防ぐ手だてには,例えば年功序列賃金の導入や勤続年数により退職金を大きく変えることなどがあります。これらは給料から強制的に社内預金をさせられて,労働者側からの離職の場合には返してもらえない制度と理解することができます。

しかしこの社内預金を放棄しさえすれば,実質的には離職は自由です。このとき女性の求職者が離職しないことにコミット(確約する)ことができないことが採用されない理由といえます。これは嫌いだから差別をしているのではなく,単に企業が平均的に見て有利な選択をしているだけですね。

別のパターンも見ておきましょう。ここでは人気が高い企業の人事部が誰を面接試験に呼ぼうか考えているケースを想定します。有名大学の学生とそうでない学生を比べたときに,有名大学にも出来の悪い学生がいるでしょうし,そうでない大学にも優秀な学生はいますね。しかし平均的に見れば有名大学の方が優秀な人が多いと企業が認識している場合には,企業は有名大学の学生のみを面接試験に招待するかもしれません。

これも嫌いだから差別をしているのではなく,単に調査費用を節約するために採られている合理的な行動です。仮に面接を行えば誰が有能なのかを確実に判断できるとしても,2割の確率で優秀な人がいるグループではなく8割の確率のグループから選んだ方が効率的です。

1−2,外見以外はまったく同じであっても統計的差別は起こりうる

統計的差別とは,能力等にまったく差異がなくても発生しうるものです。例えば男女間に能力の差(男性の方が重いものを持てるとか)や行動の違い(寿退職をする可能性は女性の方が高い)などが全くなかったとしても起こりえるのです。

外見が赤か緑かだけの違いがある同じ人数の二つの種族があったとして,毎年企業経営者たち(これはどちらの種族でも良い)が採用活動を行う場合を考えてみましょう。ここで本当は労働者としての潜在的な能力は同じなのに,赤のほうが高いという誤った予想を経営者の一部が持っていたとします。このとき「緑は使えないので赤を多く採用したい」と考えるでしょう。

学校教育や職業訓練を受けている段階の若い人々がこの予想を知ると,行動に違いが出ます。赤は採用される可能性が高いので努力することの期待できる見返りが大きく,結果として努力します。一方で緑は,見返りが少ないので,同じ水準までは頑張りません。これは彼らにとって合理的な行動です。

このとき努力に差があるため,採用試験の時点での能力に差が生まれています。本当は潜在的能力に全く差がなくても,差があるという誤解があるだけで本当に差が生まれてしまいました。このように統計的差別とは自己実現的に起こりうるものなのです。

1−3,差別禁止法を制定するだけで統計的差別を防げるのか

さてこのような差別はどのように解消すれば良いのでしょうか。差別を直接的に禁止する法律を制定すれば,それでうまく行くのでしょうか。以下では差別禁止法の内容と役割について考えてみます。

まず法律が「能力に差がないのに色だけで差別をしてはいけない」というものであるときを考えてみましょう。これは能力に差があれば能力が高い方を採用して構わないということですね。先ほどの赤と緑のケースを引き続き考えると,人々が持つ「赤の方が優秀だ」という予想が変わらなければ,やはり努力選択に差が生まれ,結果として能力に違いがあるので,経営者にとっては赤を雇うのが合法かつ合理的行動です。差別はなくなりませんね。

では「最低でも一定割合(ただし5割未満の値)は緑を採用すること」という規制を追加したらどうなるでしょうか。罰則が十分に大きければ企業は緑をその水準まで採用するでしょうが,やはり赤の方が採用される確率が高いために努力と能力の差が生まれてしまいます。これでも差別はなくなりませんね。

このとき企業は「法律があるから仕方なく緑を雇っているけれど,本当は能力が高い赤を雇いたいなあ」と考えているのです。従って採用時の差別とは異なる別の差別が発生するかもしれません。会社にとって緑はいやいや採用させられた労働者なので「おまえは能力が低いのになぜうちの会社にいるんだ」といった視線にさらされることもあるでしょう。

それでは同数ずつ採用することを企業に義務づけたとしましょう。いま考えている設定の下では,このとき時間を通じて差別がなくなります。なぜでしょうか。

ある日を境に同数採用法が施行されると,企業は最初は能力が低い緑をいやいや雇うわけですが,それを見た次の世代は「赤緑が同じ確率で採用されるので頑張ろう!」と考えて同じ水準の努力が選択されます。よって企業が次世代を採用する段階では,経営者は「最近は赤も緑も同じだな」と考えるようになり,生来の能力に関する誤解を解くことになりました。いやあ,よかったですね。

それでは差別が解消された状況を見た政府が規制を撤廃しても問題ないのでしょうか。注意しないといけないのは,労働者が実際に働いたときに生み出す成果が彼らの能力だけで決まるのなら撤廃しても問題ありませんが,不確実性の影響を受けるときはまた差別がある状態に戻ってしまう可能性があるという点です。

ある経営者が,緑の社員が何か失敗したのを見て「やはり緑はだめだな」などと考えてしまうと,次世代の採用に影響が出ます。このとき赤緑間での採用確率が変わるので,その後の世代の努力選択に差が出てしまい,また差別のある世界に逆戻りです。つまり同数採用することを強制する法律が欠かせません。

さてここまでの話は,赤緑間で潜在能力に差がない場合を考えてきました。しかし現実は違います。例えば平均的な能力が同じでも男女間で仕事に向き不向きがありますし同性の中でも能力にバラツキがあるのが現実でしょう。また建設現場の仕事は重労働が多いので男性が多い方がうまくいくといったような,産業により最適な割合が異なることも考えられます。

以下では先ほどの赤と緑の話を用いて,種族内では能力の差がないが企業によって最適な赤緑比率が異なる場合を考えましょう。企業1にとっては赤と緑の能力が同じであるなら8:2の割合で,反対に企業2は2:8の割合で雇用するのがベストとします。このとき同数の採用を法律で強制していると,まずそのことによる生産性の低下が起こります。問題はそれだけではありません。人々の間に規制に対する不満が生まれます。赤も緑も能力は同じなのに,自分に合った仕事ができる企業への就職が阻害されているからです。

また仕事に向き不向きがある場合には,本当は赤を多く雇いたい企業で働く緑のうちの一部は「あいつは仕事ができないやつだ」と周囲から思われてしまいます。この場合にはやはり差別が発生してしまいますね。

ちなみにすべての企業が半数ずつ採用という形の規制であるのが問題であり,政府が企業1には8:2で,企2には2:8で雇うように規制すれば良いと考えるかもしれませんがそうではありません。まず政府に,各企業にとって最適な採用割合を把握する能力があるのでしょうか?おそらく無理でしょう。それではどうすればよいのでしょう。例えば企業側の申告を信じることができるでしょうか?

ここで企業側に赤と緑の潜在的能力に関する誤解がある状態に戻って考えます。企業1に「おまえの企業にとって最適な割合はどうなっているか」と聞けば,それは誤解を反映させた「うちは9:1です」などといったものになるはずです。おそらく申告は歪み,結果として赤が多く採用されることになります。このように,政府が完全な情報を持たない場合には差別禁止法を制定したり採用比率を強制したりしても統計的差別の問題は解決しません。

他に方法はないのでしょうか。いま考えているように赤緑間,そして赤緑内の潜在的能力が同一の設定の下では,実はもっと良い方法があるのです。それは企業に同数の採用を強制するのをやめて,まず教育訓練の段階にある子どもたちに対して一定の努力を強制すること,その上で能力に差がないことを試験データの公開等の様々な手法で宣伝することです。このとき採用が自由であるなら企業は能力が同じであることを前提として自社にとって望ましい割合の採用を行うでしょう。皆が幸せになれます。

差別があるときに「差別をしてはいけません」という法律を作ることや「男女は同じ人数だけ雇いなさい」と規制することを安易に考えがちですが,直接的な規制をすればすべて上手くいくわけではないのです。

では赤と緑の間に平均的な潜在的能力の差がある場合,そして赤同士,緑同士でも能力にバラツキがある場合に,どのような施策をとれば統計的差別を防ぐことができるでしょうか。考えてみてくださいね。

また能力の違いについての統計的差別だけでなく,正規雇用労働者の平均的離職確率が異なる場合に発生する採用に関する統計的差別についても対策を考えてみてください。場合によっては完全な差別解消はどうやっても無理だとあきらめざるを得ないかもしれませんが,その場合でもできるだけ望ましい状態に近づけるための施策を考えましょう。

というわけで続きはまた後日!

3 件のコメント:

  1. togetterから来ました。勉強になりました。

    時間があったら政策案を考えてみたくなりますね。

    赤と緑の種族ですが、前者がキツネで後者がタヌキなんでしょうか(笑)

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  2. 故郷を求めてさん,

     こんにちは。赤と緑についてですが,これはカップうどんやそばの話ではなく(笑)実は見た目(より直接的に言ってしまえば肌の色)のことを指す言葉です。
     経済学における差別の研究では,白黒黄色とかは実際の人種を想像させる恐れがあるために,導入部分で現実の問題を記述する部分以外では,あえて違う言葉を用いるのが慣例なのです。多くの研究で赤と緑が使われているため,私のエントリでもこれに従いました。

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  3. 女性差別に長年苦しんでいる人がいたので、この話をしたら、ものすごく激怒され、「子供がいるから差別され、重要なポジションにつくことができなかった。子供さえいなければ差別されなかった」と言われてしまいました
    初めのうちにはものすごく腹が立ったのですが、上野千鶴子さんが書いた本では女性が結婚し専業主婦になる or 子供を産むせいでシフトに穴が開くので、昇進などで差別をすると書いてありました
    この場合、女性に子供を産ませないことを選択させることは難しいので、法律で縛るしかないように思うのですが、どうでしょうか

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