2011年8月22日月曜日

『Googleの脳みそ』における,第一の解毒剤「整理解雇の規制緩和」について

1,全体の感想

最近,Twitter上でも評判の高い『Googleの脳みそ』(三宅伸吾著,日本経済新聞出版社)を有り難いことに著者からお送り頂きました。三宅さんとは直接お話ししたことも何度かあるため,途中まで読んでいた本を放り出して,早速ページをめくり始めました。

本書は,変化を過剰に怖がるのではなく,一歩前へ踏み出すことの重要性を主張しています。そして,様々な事例と多数の識者の意見を精緻に積み重ねることで,著者の意見を補強しつつ,変化のための意識改革を論じている意欲的な作品だと言えるでしょう。

私がお薦めする読み方は,まずエピローグから読むこと,続いて第8章を一通り読むこと,そして最初から通読することです。最初に第8章を読んだときには抵抗感を感じた方も,二回目に読むときには同意できる部分が増えているはずです。


2,「整理解雇の規制緩和」について

ただし本書のすべての意見に同意できるわけではありません。労働政策に関心がある私にとって特に気になったのは,第8章の第一の提言である「整理解雇の規制緩和」に関して,少し議論が荒いのではないかという点です。もちろん紙面の制約等の理由もあるでしょうが,気になった点について以下にコメントをまとめておきます。

2−1,整理解雇と普通解雇・懲戒解雇の切り分けを正確にすべき

まず整理解雇とそれ以外の解雇(普通解雇や懲戒解雇)の切り分けが不明確な部分があります。整理解雇とは,本書のp.292にあるように「会社の存続のため経営上の理由で労働契約を一方的に解約すること」ですね。しかし,第一の提言はあくまで整理解雇の規制緩和の話を書いているはずなのに,いつのまにか能力不足などの話などが紛れ込んだりしているのです。

例えばp.296に「いったん正規社員として採用してしまうと,職務遂行能力がないとわかった後でも簡単には解雇できないため」という記述があります。これは能力不足の問題なので,整理解雇法理ではなく解雇権濫用法理(現在の労働契約法第16条)の問題ですね。同じページに「怠けていてもなかなか解雇されない」とか,次のページには「出世を諦めた層にはモラル・ハザードが発生し」などという記述も「整理解雇の規制緩和」とは関係ないはずです。

仮に整理解雇の規制緩和を主張するだけでなく,能力不足や怠けていることを理由とする解雇を容易にすることを主張されるのであれば,分けて検討する必要があるでしょう。

2−2,能力不足の場合に解雇すべきか

それでは労働者に能力不足等があり,業務を遂行できない事情がある場合には,解雇をすることが使用者にとって最善の施策なのでしょうか。

まず現在でも,業務に関係のない(つまり労災ではない)病気等により仕事ができない労働者については普通解雇が可能です。しかし解雇するのが企業側としてベストの案だとは限りません。中小企業などでは難しいでしょうが,ある程度の規模を持つ企業なら,場合によっては,疾病等の問題があっても少なくとも一定期間は解雇しないことを約束することにより,リスクを嫌う労働者たちの忠誠心を引き出したり,リスクプレミアム分だけ賃金を引き下げたりできるかもしれません。

次に,働くことはできるものの能力不足の労働者に対しては,解雇より前に,配置転換や仕事の軽減,それに伴う賃金の切り下げ等の労働条件変更で対応することも可能なはずです。労働者にとっても,解雇されるよりは賃下げの方がましですね。よって解雇より先に賃下げ等を交渉するべきではないかと思うのです。

加えて,労働者の動機付けのためには,怠けたら解雇するぞという脅しだけが機能するわけではありません。出世競争や成果に基づくボーナスなども有効です。また出世を諦めた層であっても,成果給に基づく適切な動機付けは可能かもしれません。

2−3,そもそも整理解雇規制は何を規制しているのか

p.299において三宅さんは「整理解雇規制をすべてなくせと主張しているわけではないが,現在の整理解雇の規制はどう考えても過剰である」と述べています。ここに労働法を専門としている人々とそれ以外の人との間の考え方の差を理解する鍵があるかもしれません。

まず雇用法制への前提知識を持たずに本書を読んだ方は「整理解雇の規制緩和」という表現を見て「そうか,現在は整理解雇が規制されていて,規制が厳しすぎるから緩和が必要なのだな」と考えるのではないでしょうか。

しかし整理解雇の規制とは,実は整理解雇を規制するのではありません。本書p.293に挙げられている整理解雇の四要素をよく見れば分かるとおり,整理解雇ではない解雇を整理解雇だと言い張って実施することを規制しているのです。ここを間違えてはいけません。

あくまで整理解雇とは(少なくとも建前上は)労働者側に落ち度はなく,能力不足もなく行われるものです。これは時代の変化や消費者の好みの移り変わり,ライバル企業の成長,自然災害等の理由で,労働者に担当してもらう仕事が無くなってしまった際に行われる解雇なのです。

そして本来,正しい意味での整理解雇は禁止されていません。くどいようですが,整理解雇のふりをして,例えば労働組合を作ろうとした労働者をクビにすることが目的だったり能力不足の労働者をクビにすることが目的だったりする解雇が「これは整理解雇である」と主張された場合に,「それは整理解雇ではありませんよ」と裁判所が認定する基準が整理解雇の四要素なのです。

2−4,それでは「整理解雇の規制緩和」とは何か

ここまで読んで頂いた方の中には,疑問を感じている方もいらっしゃるかもしれません。それでは,そもそも「整理解雇の規制緩和」とは何を指しているのでしょうか?

まず整理解雇ではない解雇を整理解雇だと偽ることを合法にしようということではなさそうですね。また能力不足の労働者を解雇することを整理解雇に含めることにしようというのも無理があります。

ここに第一の解毒剤である「整理解雇の規制緩和」という主張の問題点があると私は考えています。

整理解雇である解雇がキチンとできるようにしようという意味で,言い換えれば,真っ当な整理解雇なのに,裁判所により不当解雇だと間違って認定されることを防ごうという意味で,整理解雇の四要素をより明確なものにしようというのであれば私は賛成です。

しかし三宅さんが能力不足の労働者を解雇しやすくすることが望ましいと考えているのであれば,整理解雇の規制緩和ではなく,直接的に普通解雇の緩和を主張する必要があるように思われます。

2−5,中期雇用制度と労働特区について

p.304以降の,中期雇用制度と労働特区についての提言には賛成です。ただし,これらの提言を正確に理解するためには,一点だけ注意が必要です。

それは,三宅さんは既存の契約と法改正後の新規契約を明確にわけて議論しているという点です。この「中期雇用制度と労働特区を」の前までは,既存の長期雇用契約に問題があるので,既存契約の一方的解消としての解雇を容易にしてはどうかという問題を扱っていましたね。しかし「中期雇用制度と労働特区を」以降は,今後の新規契約について扱っています(これには既存契約が切れた段階での再契約も含みます)。

そして既存契約の問題をどのように解決・軽減するかと新規契約としてどのような形態を可能にすべきかについては,丁寧に切り分けて理解する必要があります。

例えば,これまでの二極化した雇用形態を中期雇用も可能にすることにより今後は多様化させることを主張していますが,これと仕事が無くなったことや能力不足を理由とする解雇を容易にすることの間には整合性の面で問題があります。なぜなら新規契約を多様化させたら,今後は契約を守ることが容易になるはずなので,一方的な破棄をせずに守るべきだからです。

例えば契約期間に注目すると,これまでは実質的には3年までか定年までかの二択でした。このとき仮に定年までの長期雇用を約束したとすると,長い期間の間には事情が変わることもあるでしょう。このことがこれまでは解雇を正当化する根拠だったわけです。しかし今後については,多様な契約期間が設定できるようになり,加えて期間終了とともに雇用契約が当然に終了するようになるなら,期間終了前に一方的に契約を破棄する(=解雇)の必要性は下がりますね。

このように,既存契約と新規契約を分けて検討していることをより強調したほうが,少なくとも後半の中期雇用制度と労働特区に関する提言の賛同者は増えるのではないかと感じました。


3,まとめ

私は本書を非常に興味深く拝読しました。ただし雇用政策については,新規契約の多様化(三宅さんの言葉を用いれば,中期雇用制度と労働特区の実現)については同意しますが,既存契約を今後どのように扱うべきかについては,三宅さんの主張がまだ明確ではないように感じました。

能力不足を理由とする解雇をどこまで可能にすべきなのかについて,私は2−2で述べたように,解雇を容易にすることよりも,賃下げも含む労働条件の切り下げを容易にすることのほうが実現可能性が高く,かつ既存の労働者の負担も少ないと考えています。三宅さんの見解はいかがでしょうか?

2011年8月4日木曜日

問題32

ある特殊な電気製品(例えば非常に高性能なテレビなど)を製造できる企業は,世界中で我が国の国内企業2社のみであるとします。そして両企業はこの製品の製造販売のみを行っていて,それぞれの利潤を最大にすることを目的として,生産量を独自に決定する同質財の数量競争を行っていると考えることにします。

ここでまず両企業の株主も労働者もすべて日本国民であるとします。そして両社の製品は日本国内に限らず全世界の消費者に対して販売されているものとします。なお需要量をq,価格をp,そしてkを0より大きく1より小さい数としたとき,国内分の需要関数はq=k-kpであり,世界全体の需要関数はq=1-pである(つまり国内と国外で販売される比率はk:1-kである)とします。

話を簡単にするために,この製品の生産には固定費用も可変費用もかからない(つまり限界費用はゼロ)とします。また外国へ輸出する際には関税がかからない,そして輸送費用もゼロとします。加えて国内外で価格差別をすることができず,同じ価格で販売するとしましょう。

ここで両企業が合併することを計画していて,政府の認可を求めているとします。この製品に関して生み出される社会的余剰(ただし我が国が得るもの)を最大にすることを目的として政府が政策決定をしていると考えたとき,国内消費割合を表すkの値がどのような水準を超えるときに合併を禁止すべきでしょうか。

問題31

公共放送であるNHKの受信料について,現在は放送法第32条により「協会の放送を受信することのできる受信設備を設置した者は、協会とその放送の受信についての契約をしなければならない」とされています。つまりテレビを所有する人は,NHKと契約する必要があります(ただし罰則はありません)。

しかし最近,NHKの不祥事等の様々な理由により,テレビを持っているのに契約をしない人が増えているようです。そこでNHKの放送を一部の衛星放送のように暗号化して送信し,契約を結んだ世帯のみ復号して視聴できるように制度を変えることを検討してみましょう。このことにはどのようなメリットとデメリットがあるでしょうか。この案に賛成・反対の両面から検討し,意見を述べなさい。

問題30

現在,X県では,ある地域の公園整備事業を行うことを計画しています。そこでこの公共事業の実施プランを募ったところ,A社とB社が以下のような設計案を提示しました。

  • A社案:毎年末に1億円相当の価値を住民に対して永久にもたらすプランであり,工事費用は現時点で5億円かかる
  • B社案:毎年末に2億円相当の価値を住民に対して永久にもたらすプランであり,工事費用は現時点で12億円かかる

余剰の最大化を目的とするとき,X県の担当者としてはどちらの企業のプランを選択すべきでしょうか。理由とともに答えなさい。なお純利子率を年率10%として計算すること。

注意点:工事にかかる時間は無視します。例えばA社案なら,5億円を支出したちょうど1年後から1億円相当の住民利益が定期的に発生します。また設備維持費などは不要とします。

問題29

生産者が独占の市場について以下の問に答えなさい。

(1) 完全競争市場における市場取引について図を用いて考える場合には需要曲線と供給曲線を描くのに対して,独占企業がどのような価格設定を行うのかを考える場合には需要曲線と限界費用曲線を使います。なぜ独占の場合には供給曲線を用いないのかを説明しなさい。その際に供給曲線とは何かについても述べること。

(2) 独占が社会的に見てなぜ問題なのかを効率性の観点から説明しなさい。

問題28

Aさんが働く会社は都心にオフィスがあります。そしてこの会社で働く従業員の中には,オフィスの近くに住んでいる人もいますが遠くから通勤している人もいます。

さて,この会社では,固定給と成果給に加えて,住宅手当と通勤手当が支給されることになっています。そして住宅手当は,世帯主か否か,また賃貸か持家か等に関係なく毎月3万円が一律に支給されるのに対して,通勤手当は実費が支給されることになっています(ただし一月あたり10万円を上限とします)。

このような住宅手当と通勤手当のルールが実施されているとき,人々の居住地選択の判断がどのように行われるのかに注目して,このルールの問題点を効率性の観点から指摘しなさい。また対案として,どのようなルールへ変更することが望ましいのかについても述べなさい。

問題27

ある市場の需要と供給の関係が描かれた下の図を用いて,生産者に対して以下のような補助金があった場合に発生する死荷重は図のどの部分になるのかを示しなさい。ただしb>1000とします。なおグラフの切片の値なども明記すること。



(1) 1000円の従量補助金(つまり取引量一単位当たり1000円を政府が生産者に対して支払います)

(2) 20%の従価補助金(つまり市場取引価格の20%相当額を政府が生産者に対して支払います)

問題26

ある国のある地域で,バス会社が赤字路線からの撤退を考えているとしましょう。そして,このことを知った住民たちが反対運動を始めました。また自治体の議会においても一部の議員たちが「住民にとって欠かせない交通手段が失われるのは困る」と考えて,今回の件も含めて,今後はこの地域から企業が撤退する場合には自治体の同意を必要とする(ただし倒産した場合にはこの限りではない)旨の条例の制定を検討しているとしましょう。

ここで問題です。このような規制が実施されると長期的に何が起こるでしょうか。仮にあなたがこの議会の議員の一人であったとして,規制に反対の立場から「なぜ望ましくないのか」を他の議員に対して説明することを考えて,その理由を述べなさい。

問題25

ある商品の市場を考えます。この商品は売り手と買い手が一カ所に集まって取引をしています。そしてこの市場は,市場までの移動に交通費がかかる点を除けば完全競争市場の条件が満たされているとしましょう。

話を簡単にするために,まず個々の売り手はこの商品を一人当たり一つまでしか作れない,また個々の買い手も,この商品を買うとしても一つまでとします。そして交通費を考えない場合の需要曲線と供給曲線は次の図のように価格がゼロ以上10000円以下の範囲では直線で表されているとしましょう(需要関数と供給関数はそれぞれq=10000-pとq=pです)。また,家から市場までの往復の交通費は売り手も買い手も全員1000円であるとします。


以下の問に答えなさい。


(1) 交通費を考慮すると,上の図の需要曲線と供給曲線,また市場均衡点はどのように変化するでしょうか。図示しなさい。

(2) このように交通費がかかることにより,この市場の消費者が受け取る余剰は交通費がかからない場合と比較してどの程度減少するでしょうか。数値で答えなさい。



問題24

以下の問に答えなさい。

(1) 安藤さんが所有しているマンションを井上さんが3000万円で購入することになったとしましょう。もちろんお互いに合意の上で契約しました。このとき取引の成立により誰がどのような余剰を得ているのかについて説明しなさい。


(2) 内田さんと江頭さんが,各自が購入して読み終わった本を双方の合意の上で物々交換することにしました。この場合には誰がどのような余剰を得ていますか。説明しなさい。

2011年7月27日水曜日

「労働・雇用」を考える六冊

日経ビジネスアソシエ5/3・5/17合併号「今こそ読むべき本」に寄稿した原稿のオリジナル版を転載します。締め切り直前になって,かなり字数制限が厳しくなったので,雑誌掲載版だけを読んだ方は何が言いたいのかが良く分からなかったかもしれませんが,元々はこのような内容でした。

なおこのオリジナル版はメールマガジンαシノドスvol.76 2011/5/15にも「震災以降の<労働・雇用>を読み解く6冊」として掲載して頂きました。

---ここから---

【必読書3冊200字ずつ】

1, 小島寛之『数学的思考の技術』ベスト新書
人間の様々な行動や選択について、また社会制度について論理的に考えるための良い手助けとなる新書です。例えば、なぜ多くの労働者の賃金が固定給と歩合給・成果給の組み合わせになっているのか、またなぜ年金制度が積立方式ではなく賦課方式になっているのか等の様々な論点について分かりやすく説明しています。第1部と第2部は、家族や友人に自分の言葉で説明できる水準まで理解したことを確認しながら読み進めると良いでしょう。

2, 大竹文雄『競争と公平感』中公新書
私たちは働いて得た賃金で必要な生活用品を購入し、お気に入りのレストランで食事をします。その際に、皆に選ばれなかった店は倒産してしまうかもしれません。このように市場競争には、選択の自由から生まれる消費者のメリットがあるのと同時に、生産者を厳しい競争にさらすことになります。本書は、市場競争のメリットを伝統的な経済学に従って解説するだけでなく、人の弱さや判断ミスをする傾向などにも配慮した形で、市場と政府の役割分担がどうあるべきかを明快に解き明かしています。

3, 大内伸哉『雇用社会の25の疑問 労働法最入門[第2版]』弘文堂
本書は、「女性社員は、夜にキャバクラでアルバイトをしてよいか」や「会社は、美人だけを採用してはダメなのであろうか」といった刺激的なタイトルが付けられた28の話を題材にして、雇用に関するわが国の法的なルールを分かりやすく説明する異色の教科書です。関心がある部分から読み進めると良いでしょう。労働法の基礎的な考え方を知ることは、労働者として自分の身を守るために有益なだけでなく、出世や独立により経営者サイドに立ったときにも役立ちます。

【一押し3冊150字ずつ】

1, 小峰隆夫『人口負荷社会』日経プレミアシリーズ
まず国立社会保障・人口問題研究所のホームページにある「人口ピラミッドの推移」を印刷しましょう。そして人口構成が今後どのように変化するのか、また自分がどの位置にいるのかを確認してから、本書を読み始めましょう。労働市場の需給変化と、それに伴い社会制度がどのように変化するのか、またしないのかを理解することは、私たちが今後のキャリアを考える際に必要不可欠です。

2, 金井壽宏『働くひとのためのキャリア・デザイン』PHP新書
今後のキャリアをどうするつもりかと上司から聞かれても、「将来のことは実際のところ良く分からない」と感じる人も多いかもしれません。そのようなときに役立つのが本書です。ある程度は流れに身を任せつつ、昇進や転職などの人生の節目では将来の方向性についてしっかりと考えるという、具体的かつ誰でも実行可能な方法論が提示されています。

3, ジョン・マクミラン(訳:伊藤秀史・林田修)『経営戦略のゲーム理論』有斐閣
本書は副題に「交渉・契約・入札の戦略分析」とあるように、ゲーム理論や契約理論の知見が、実際の経済活動にどのように活用できるのかを解説するものです。互いに相手の行動を予測して意思決定を行う環境における最善の戦略について知ることは、ビジネスだけでなく、個人間や国家間の契約や交渉等を理解する際にも役立つでしょう。

【選書理由400字】
今回の震災と津波被害により、多くの方が亡くなられました。また家や仕事を失った人も多く、少なくとも当分の間は、これまでと同じ仕事を続けることが難しい場合もあるでしょう。
このように予想しない形でキャリア転換を迫られるのは災害時だけに限りません。企業の倒産や特定分野からの撤退など様々な状況が考えられます。そこで今回は雇用とキャリア形成を考える際に役立つ6冊を選びました。
まず働くすべての人に求められるのが、人々の行動や市場経済の仕組みについて、また雇用にまつわる基本的なルールについて知っておくことです。加えて現時点で何が起こっているのかだけでなく、今後何が起こるのかを知ることが出来れば有益ですね。もちろん将来を予想するのは難しいことですが、今後の人口分布がどのように変化するのか、それに伴い労働の需給がどのように変わるのかなどは、かなり確実に予測できるのです。
いま自分にできることを確認し、その上でこれから必要なスキルとは何かを考えるきっかけになれば幸いです。

2011年6月2日木曜日

分譲マンションの議決権について

1,はじめに

私は賃貸マンションに住んでいますが,最近,周囲で家を買う人が増えてきたようです。そこで少し気になって,新聞に折り込まれているチラシなどを見るようになりました。まあ私には家を買うお金はまだないのですが(笑)

さて,いろいろ調べているうちに気になったのが分譲マンションの議決権の決まり方です。

マンションの区分所有者が持つ議決権については,区分所有法(建物の区分所有等に関する法律)http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S37/S37HO069.htmlの第三十八条により,規約に別に定めない限りは,専有部分の床面積の割合に応じて設定されています。そして実際に多くの物件ではこの通りに,面積に比例して議決権が設定されているようですが,これが本当に居住者の望むところなのかについて疑問を持ちました。

少し考えてみると,面積比例の議決権というのは平等でもなく効率的でもないように感じます。まずはいくつかの例を考えてみましょう。

例えば,1フロアに一戸しかない,また完全に同じ間取りの5階建てのマンションがあったとしましょう。販売価格は,上層階に行くほど高いのが普通ですね。上の階の方が眺望が良いなどの利益がありますから。しかし現行のルールでは,販売価格や物件の価値は違っても,このマンションの5戸は面積が同じなので議決権は均等です。

別の例を考えてみます。ある大規模マンションの低層階にある100m^2の部屋と高層階にある80m^2の部屋があったとします。ここで仮に当初の販売価格で比べたら,高層階の部屋の方が高かったとしましょう。しかし高層階の部屋は,買値が高かったのにも関わらず,低層階の100m^2の部屋よりも議決権が少ないのです。

これと同様に,同じフロアにある100m^2の北向きの部屋よりも80m^2の南向きの方が購入価格は高いのに,議決権が少ないこともあり得ますね。

これらの例を見ると,何かおかしいように感じませんか。極端な例を考えると,問題点がより明確になります。例えば,同じマンションの部屋に対して同じ5000万円を出資したのに,高層階の80m^2の部屋を所有する人の方が低層階の100m^2を所有する人よりも議決権が少ないのです。これは不公平ではないでしょうか。

2,対案

そもそもマンションとは何でしょうか。これを価値の異なる物件を持ち寄って財産を形成している共有の不動産と考えるなら,資産価値に応じた議決権になるのが自然ではないかと思うのです。そこで検討したいのは,面積比例ではなく資産価値比例で議決権を設定するという考え方です。

それでは議決権を資産価値比例にするとはどのようなことでしょうか。マンションの資産価値は,時間を通じて変わってしまいますが,ここでは分譲時に設定した当初の価格の比で議決権を設定するケースを考えます。例えば最初に例として挙げた,完全に同じ間取りの5階建てのマンションを考えたとして,当初の価格が5階は4000万円,4階が3900万円,3階が3800万円といったように100万円ずつの差があったとしましょう。もちろん交渉により値引き販売や,売れ残り物件の値下げ等もあるかもしれませんが,ここではこれらの当初販売価格に比例した形で議決権を設定することを考えます。

3,何が変わるのか?

現状のように面積比例で議決権を設定する場合は,単位面積当たりの価値が低い部屋(例えば低層階や北向き等)に対して過大な議決権が設定されているのに対して,価値が高い部屋(例えば高層階や南向き等)の所有者に対しては,本来の価値と比べると議決権が過少になっているように思われます。

これに対してマンションの議決権を,これまでの面積比例から価値比例に変更すると何が起こるでしょうか。まず,これまで購入金額の割に権利が少なかった高層階の高額物件の価値がおそらく上昇するでしょう。もちろんそれに伴い価格も上昇するでしょうが,物件購入者にとっては資産価値に応じた権利を得られることになります。一方でこれまで過剰な権利が与えられていた低層階物件については,議決権は減りますが,物件の価格も下がるでしょう。このほうが購入者にとって幸せなことではないでしょうか。

4,おわりに

そもそも民法の第二百五十二条では「共有物の管理に関する事項は,前条の場合を除き,各共有者の持分の価格に従い,その過半数で決する。ただし,保存行為は,各共有者がすることができる」とされています。マンションは区分所有者の共有物であり,この法律の考え方を素直に適用すれば価格比例の方が自然だと考えます。

マンションの議決権については,面積で議決権が決まるということがこれまで当然だったために誰も疑問に思わなかったのかもしれません。または,疑問に思っていたとしても,面積比例が常識だから争ってもしょうがないと考えて主張しなかっただけかもしれません。

しかし,これまで不満がなかったのかについては調査する必要があるように思います。高層階の部屋を購入する人は,議決権が少ないことに対しいて,また低層階を購入する人は望むよりも多い議決権が設定されているために価格が高止まりしていることに対して,もしかしたら不満に思っていたのではないでしょうか。

もちろん当初分譲価格比例で議決権を設定するよりも,これまで通りの単純面積比例の方が明確で望ましいという考え方もあるでしょうし,また別の権利配分ルールの方が望ましいという意見もあるかもしれません。

議決権の設定は,どのようにするのが望ましいのでしょうか?もし良い案があれば是非ご教授ください。よろしくお願いします。

2011年4月2日土曜日

大事なのは電気料金の値上げではなく、傾きを変えることです

現在、関東地方では計画停電が実施されています。これは電力供給量の上限を需要量が超えそうな場合に、一部地域を停電させることで、大規模停電を防ぐための取り組みです。しかし、この取り組みには、病院や生産性の高い工場なども一律に停電させてしまうため、効率性の観点からは問題があります。

そこで多くの経済学者が「価格メカニズム」を用いて需要量の抑制を図ろうと提案しているわけです。その際に「電気料金の値上げが必要」とか「電気の使用に対して高い従量税を課せ」といった形の提案をするのですが、これに対して「現在でも困っている人がいるのに値上げするとは何事だ!」といったような批判もあるようです。

しかしそれは誤解かもしれません。

もちろん経済学者の提案が説明不足であることは否定できないでしょう。しかし、例えば「電気料金の値上げが必要」というのは、一般家庭の支払う電気料金の総額を増やせということを必ずしも意味しません。このような提案の趣旨は、従量料金の傾きを急にしようということです。そして、傾きを急にすることが必ずしも家計の圧迫につながるとは限らないのです。以下では簡潔に説明しましょう。

ある一般的な家庭を考えてみます。ここで仮に電気料金が無料だったとしたら、この家庭はどうするでしょうか。おそらく電気を無駄遣いするでしょう。電気もエアコンもつけっぱなしになるかもしれません。

ここで注目して頂きたいのは、この家庭が電気を使うことから得られる満足度についてです。おそらく電気を使う量が倍になれば満足度も倍になるといったような単純な関係は成立していないでしょう。それは最小限の電灯や冷蔵庫のために電気を使うことのメリットが非常に大きいのに対して、使用量が増えれば増えるほど追加的な満足度の増加分が減るからです。

この関係を、一月の電気の使用量を横軸に、また電気を利用することから受ける満足度(を金銭に換算したもの)を縦軸に描くと次のような関係になるでしょう。実際にはこのような奇麗な形をしているかどうか分かりませんが、重要なのは「電気を使う量が増えれば満足度は増えるが、その増え方は減っていく」という点です。


次に電気料金について考えてみます。本当は契約アンペア数により固定部分も変わりますし従量部分は3段階に分かれているためもっと複雑ですが、ここでは単純化のために次の図のように固定部分と従量部分に分かれているものとします。また深夜電力の割引などは考えず、最も一般的な従量電灯契約を考えます。


それではこの家族がこの図のような料金体系に直面したら、どのくらいの電気を使うでしょうか。答えは次の図のAまで使うというものです。なぜなら電気から得られる満足度から支払金額を引いた結果的な満足度(=矢印の幅)が最大になるのがこの使用量だからです。


ここで電力供給量の制約から、この家庭の電気使用量をBまで減らして欲しいとしたら、電気料金をどのように変化させれば良いのでしょうか。最も簡単なのは、この家庭がちょうどBだけ使用したときに満足度が最大になるように、従量部分の傾きを急にすることです。これは次の図で示されています。


このとき使う電気の量はAからBへと減っているのに、支払う電気料金は増えています。これではお客さんは不満に思うでしょう。

しかしこの家庭に対して、電気使用量としてBを選ばせる手段はこれだけではありません。例えば携帯電話料金などで見られるような、一定の使用量までは定額部分に含まれているといった契約を考えてみましょう。そしてCまでの使用量は定額部分に含まれていて、Cを超える部分に対しては先ほどの図と同じ傾きの従量料金が加算されるとします。このとき次の図のようになります。


このような料金設定の下でも、電気使用量としてはやはりBが選ばれますね。ここから分かるのは、この家庭の使用量を特定の値に誘導したいときに重要なのは、支払う電気料金の総額ではなく、従量料金部分の「傾き」であるという性質です。あとは固定料金の金額とそれに含まれる使用量Cを適切に選ぶことで、この家庭の電気料金支払額を変化させることが可能なのです。

この性質を使って電気料金を設計すれば「節電しているのに値上げされるなんて許せん!」といった批判を浴びることなく、節電を奨励することが可能になります。おそらく昨年と同様に電気を使うと値上げになるが、節電したら値下げになるくらいに料金設定することが最も理解を得られるのではないでしょうか。実際に下の図ではそうなっていますね。


もちろん各家庭ごとに電気を使うことから得られる満足度は異なりますし、電気料金として支払える金額も違います。よってすべての家庭に対して同じ料金プランを提示したとしても、各家庭ごとに選ばれる利用量は異なるでしょう。そこで、実際には平均的な家庭向けに価格体系を決めることになるでしょう。

多くの経済学者の提言は、スマートメーターの設置などによりピーク時のみ価格を上げること(いわゆるピークロードプライシング)が不可能であることを前提とするなら、従量部分の傾きを急にしようということです。ここで説明したように、だからといって一般家庭の毎月の電気料金が増えるとは限りません。ご理解頂けたでしょうか。

なお私がTwitter上で書いた関連するコメントがTogetterにまとめられていますので、こちらも参考にしてください。まとめて頂いた @marianna_ave さん、ありがとうございました。




2011年2月4日金曜日

不確かな少人数学級の効果 学力調査での実証必要

【日本経済新聞 経済教室 2010年9月17日】

文部科学省の中央教育審議会初等中等教育分科会が7月12日に公表した報告書案では,小中学校の1クラスあたりの人数の上限を引き下げること,それに伴い教職員の数を増やすことなどが提言されている。この少人数化が仮に実現すれば,1980年度に1クラス45人から40人へ引き下げて以来およそ30年ぶりのことになる。

クラスの少人数化は,一見すると児童生徒にとって良いことのように思える。例えば教師の目が届きやすくなるし児童生徒の発言の機会も増える等のメリットがあるからだ。このような混雑の緩和による正の効果は「クラスサイズ効果」とよばれている。しかし教科学習の達成度に関する実証研究では,予想に反してクラスサイズ効果が有意には観察されないか,観察されたとしても非常に小さいという結果が多く得られている。このことは「クラスサイズパズル」と呼ばれ,これまで経済学者の間でも議論の対象となってきた。本稿ではこのような少人数学級に関する研究の概要を紹介するとともに,教育をより良くするための施策について検討したい。

*******

少人数学級が学習面の達成度を向上させるか否かを分析する際に,規模の違うクラスで学んでいる子どもたちの成果を単純に比較するわけにはいかない。学級規模以外の要因が成果に与える影響を排除できないからだ。例えば地域によって制度が違うときに,教育熱心な家庭が少人数学級の地域を選んで居住しているなら,仮に少人数学級の方が高い成果を上げたとしても,少なくともその一因は親が教育熱心なことにあるといえるだろう。このとき単純比較だと少人数学級の効果が過大評価されることになる。

学習が困難な子どもたちを教育する場合には行政が少人数学級を採用するが,成績の良い子どもたちには採用しない場合はどうだろうか。このとき実際には少人数教育に良い効果があったとしても,人数が多い方が成果が高いという逆の結果が観察されてしまうかもしれない。

それではどうすれば正確に効果を測定できるだろうか。有力な手法の一つは,管理された実験を行うことである。例えば米国テネシー州で85年に始められた「STARプロジェクト」は,入学時の能力や家庭環境などが同程度の分布になるようにランダムに入学者を配置し,達成度に違いがあるかを検証する実験であった。別の手法として,自然実験の活用がある。これは例えば通学区域指定がある公立学校に注目して,入学する児童生徒数の年による変動とそれに伴う学級人数の変化を用いて達成度への影響を検証しようとするアプローチなどを指している。

これらの手法を用いた研究により,予想に反してクラスサイズ効果が有意には観察されない,また観察されたとしても非常に小さいという先述の結論が得られたのである。

******

混雑緩和効果があるにも関わらず,少人数学級のメリットが観察されにくいのはなぜか。まず少人数学級には,クラス内での競争を通じた切磋琢磨(せっさたくま)が損なわれてしまう可能性がある。

筆者は2004年に公表した研究において,学級規模を小さくすると,能力が低い子どもの学習意欲が増加する代わりに,能力が高い子どもの努力が低下する効果が存在することを発見し,後者の効果の方が前者よりも大きいことを理論的に示した(ただし,能力別ではない学級編成の下で,成績がクラス内の相対評価により付けられている場合を分析した)。つまり少人数化には,格差を縮小させる一方で平均的な達成度を低下させてしまう可能性がある。

先ほどの混雑緩和効果とこの競争抑制効果を併せて考えると,図の実線で表されているように,クラスの人数と教育の成果には逆U字の関係があることが予想される。このとき達成度の面だけから見た最適なクラスサイズは図のnとなる。一方で少人数学級の方が児童生徒一人当たりの費用が大きくなることを図の点線により表すと,費用対効果で考えた最適なクラスサイズはmとなる。この最適規模はnよりも大きく,また児童生徒の能力や教師の力量によっても当然変化する。

別の説明も可能だ。例えばSTARプロジェクトのような実験の際にクラスの数を急に増やすと,必要な教師の数が増えるために新規採用が行われるだろう。それにより教師の平均的な質や経験年数が低下するなら,このことによってクラスサイズパズルが説明できるかもしれない。

仮に新人教師の経験不足が原因であるなら,制度の導入時に注意すればよい。例えば現在の40人学級を分けて20人学級を2つ作る(このとき教員は2人必要で1人は新人になる)よりも,当分の間は40人学級のままでクラスに配置する教員を2人にした方が効果的かもしれない。この場合も必要な教員は2人だが,新人が単独でクラスを担当することはなくなるからだ。

******

少人数学級の導入には,このように学業面の効果を疑問視する研究結果もある。しかし運用で改善できる余地があること,また個々の生活面の指導が行き届くようになるといった点から賛成意見が多いことも踏まえて,この施策を仮に採用するならどんな点に注意すべきかを議論したい。

最重要なのは,児童生徒へのアンケート調査と全国的な学力調査を併用した事後評価が行われることである。まずアンケート調査は匿名で第三者が行う。社会調査において本音をどの程度引き出すことができるかという限界を認識することは基本だが,記名式では本音を引き出すのが難しいと思われるからだ。

例えば,児童生徒とその保護者に対するアンケートを考えてみよう。教師の理解度や教え方について調査しても,何らかの仕返しをされる可能性があれば児童生徒は不満を述べないだろうし,子どもを“人質”に取られている状況下では保護者も不満を表明しにくい。必要なのは個人が特定されずに問題点が指摘され学習環境が改善されることである。しかし少人数学級では誰の不満なのかを教師が特定しやすくなってしまうためこれには限界がある。

そこでデータに基づく事後評価が重要となる。どの段階でどの教科の勉強がなぜ分からなくなるのか,またそれは教師の質が低いからなのか,それともクラスが混雑しているからなのかといった点を把握できれば有用であり,そのためにも全国的な試験による詳細な成果把握が行われるべきだ。その際に,以前実施された学力調査において一部の学校で見られたような教師による不正を防ぐためにも試験監督は他校の教員や外部の人間が担当すべきである。教育に政府がお金を使うなら同時にその事後評価にもきちんとお金を使うべきであり,問題が見つかれば適宜方針転換を図ることこそが必要なのだ。

児童生徒のために,そして社会全体のために教育をより良いものにするには,インセンティブ(誘因)設計の手法が欠かせない。教師の善意に頼るのではなく,教育の質を上げるための様々な手法とその組み合わせを検討し,費用と効果を勘案して最善のものを選ぶ必要がある。ただし事前によく分からないことも多い。そこで複数の異なるプランを実際に採用して比較する社会実験が有益となる。

わが国では社会実験に対する抵抗が強い。例えば人種間の達成度の差を縮めることを目的にハーバード大学のフライヤー教授が最近行った実験では,子どもに対して学習の金銭的動機付けをしてその効果を観察している。このような実験は感情的な反発を買うものかもしれないが,政策評価のための学問的取り組みに対する理解が求められる。

機動的な政策決定のためには政府の失敗をたたき過ぎないことも大事かもしれない。事前の段階で適切な判断がなされていたのであれば事後的に問題が発生しても許容すべきだろう。失敗したらたたかれることが分かっていれば,新たな政策導入に社会的な最適水準よりも高いハードルを課すことになり,時代の変化に合わせて行うべき方針転換が抑制されてしまうからである。


2011年2月2日水曜日

情報発信のメリット(濱口さんと労務屋さんのBlogを読んで)

前回の私のBlog記事に関して,濱口桂一郎さんが自身のBlogにおいて言及されているのを見つけました。その内容は,労働政策が中小企業に対して長期雇用を「強制」しようとしたという僕の記述は間違いですよというものでした。

確かにその通りで,強制したわけではありませんね。ここは「誘導しようとして失敗した」といった表現にしておけば適切だったのでしょう。

それでは本当に誘導していたのかという疑問を持つ方もいるかもしれないので,簡単に私の考えを説明しておきます。まず日本の労働政策は長い間,三者構成とされる労政審において議論されて合意に至った内容だけが実質的に法律になるという状況が続いていました。そこで問題となるのが,審議会に参加する労使の代表が,本当にすべての労働者(失業者などの現在働いていない人や非正規の労働者も含む)とすべての使用者(中小零細企業の経営者なども含む)を代表していたのか否かです。

この点に関してよく指摘されるのは,実質的には,審議会において大企業の労働者や組織化された労働者の代表と大企業の経営者の代表の声が,最終的な合意形成に反映されやすかったという問題です。

もちろん審議会メンバーたちは多様な当事者たちの意見を聴取していたでしょうが,最終的には自分たちの利益を最大にするために行動したとするなら,わが国の労働法が大企業に適合性の高いものとなってしまう可能性が高いわけですね。このとき意図しない形ではあっても,中小企業に対する大企業型人事制度への誘導があったと言えるのではないでしょうか。

また労政審のメンバーを誰が選んでいたのかについても考える必要があります。政治が選んでいるのか,それとも実質的には行政が選んでいるのかにもよりますが,もしかしたら日本の大企業で見られる雇用慣行を正しいものとして,中小にもこれを普及させようという意図があって,労使の代表が意図的に選ばれていたのかもしれません。この場合は誘導があったといえますね。他方で労使の代表として単に大きくて目につきやすい,また声の大きい組織の代表を選んでおけばそれで間違いないだろうと考えていたとするなら,この場合は意図しなかったが結果的に「誘導」する形になっていたといえるでしょう。

次に,昨日付けの労務屋さんのBlogでは,私がαSYNODOSというメールマガジン(2月1日配信分)向けに書いた記事について,高知放送事件に関して誤解を生みかねない表現があるとして丁寧な説明をされています(ちなみに当該メルマガの私の記事の次に,労務屋さんの記事もあります)。

私としては「普通解雇について争われた高知放送事件の概要ですが」という表現をしたことで,ここで書かれたことがすべてではなく,あくまで「概要」ですよと言ったつもりでした。しかし確かに労務屋さんのおっしゃるように,ここだけを読んだ人は「日本ではやはり解雇はとても難しいなあ」とか「裁判所は労働者の味方なのだなあ」という印象を強く持ってしまう懸念があります。メルマガの内容を後日どこかに転載できる機会があれば,その際には労務屋さんの当該記事へのリンクを張っておきたいと思います。

濱口さんのBlogも労務屋さんのBlogも,雇用労働問題の研究者や実務家の間では広く読まれているものですね。このようなところで私の誤解や表現の足りないところ等を指摘していただけるのは,とてもありがたいことです。お二方に感謝したいと思います。

今回のようなコメントを頂いて,このように専門家から無料で教えてもらえるということは,情報発信することのメリットだと実感しました。自分で考えているだけでは,誤解に気づきませんからね。もちろん間違いのない記述と表現を追求するのは当然のことですので,今後とも日々精進します。それでは。

2011年1月28日金曜日

澤井さんへの返信(その2)

丁寧なお返事をいただきありがとうございます。「経済学者vs弁護士の雇用規制緩和に関する議論に絡んでみた(その2)」を拝読して,自分の説明が足りなかったところと澤井さんが心配されている論点とが明確になり,とても感謝しています。

まず説明不足だったと思われる点は,大きく分けて次の4点です。

  1. まず私が提案している労働ルールの変更を,私は「解雇規制の緩和」であるとは考えていません。例えば既存の契約については,これまで不明確で予測が難しかった整理解雇の要件を合理化・明確化すべきだと私は主張していますが,これは中期雇用導入の有無とは関係なく,合理化・明確化が労使双方の利益になるものだと思うからです。当然,この取り組みによっても,これまでの約束を使用者側が何の制約もなく一方的に反古にすることが認められるわけではありません。
  2. また私は中期雇用を可能にすることも主張していますが,これは「原則3年までの短期か定年までの長期かという極端な二択に,契約が限定されていること」を崩すのが目的です。よって新規契約に関しても,個々の契約において解雇しないという約束がなされた範囲では,雇用保障が依然として実効性を持ちます。
  3. さらに重要だと考えている変更点は,長期雇用に関する雇用保障の構造をこれまでよりも明確なものにすることです。俗に終身雇用と呼ばれる定年までの長期雇用は,現時点では期限の定めのない雇用契約と整理解雇法理により実質的に実現されています。これに対して今後は,定年までの片務的な長期雇用保障契約を労使が結ぶ場合でも,明示的な期間を定めた契約を締結すべきだと考えています。これは例えば大学新卒の22歳の人に対して,企業が65歳の定年時までというおよそ44年契約を明示的に提示するということです。しかし,これだけ長期の契約となると環境の変化等への対応が不可欠でしょう。よっておそらく長期雇用の場合には,労働条件の変更による待遇悪化の可能性,また分社化や他社への部門譲渡の可能性,そして整理解雇が行われるとしたらどのようなときかという要件等を可能な範囲で明示する特約が付くことになると思われます。そして予測できなかった事態への対応については誠実な交渉義務を課すといった条項も含まれることになるでしょう。
  4. さて,そもそもこれまでのわが国の労働政策は,極端な言い方をすれば,高度成長期に大企業でたまたま発生して上手くいったように見えた労働慣行を,中小企業にまで強制しようとして失敗した歴史とは考えられないでしょうか。おそらく中小企業においては,実現不可能な労働ルールを守るように言われて,実際には無理だと労使が判断して無視していたというのがこれまでの実態でしょう。つまり現在まで,中小企業の労働者は実質的には保護されていない状態だったのです。そこで前回申し上げたように,守れるルールにするかわりにきちんと守らせることが重要だと考えています。

私が述べている案に対して,澤井さんが様々な心配をなさるのは当然のことです。上記のように様々な不具合もあるものの,これまでとりあえずは機能してきた制度に手を加えることにより,現状と比較して全員が損する可能性さえもあるからです。よって労働を取り巻く関係者の全員が理解し納得した上で,100%確実とは言わないまでも「まあやってみても良い」と考える合意形成が必要です。そのために必要となる取り組みは,ルール変更を提案する側に課された責務であるとも言えるでしょう。

そこで最近,私は労働法学者の野川忍さんと共同で雇用労働問題を議論するBlogを始めました。野川さんとの質疑応答を通じて,これからの労働ルールのあり方についての私の考え方と論拠を今後さらに明確にしていくつもりでいます。

それが一段落した上で,澤井さんから頂いたコメントや疑問点のどれに答えられていて,またどこは回答が不十分なのかをはっきりさせたいと思います。というわけで申し訳ありませんが,もう少し時間を頂ければありがたいです。

今後ともどうぞよろしくお願いします。

2011年1月23日日曜日

澤井和彦さん(ks736877)へのお返事

このエントリは澤井さんのBlog記事
(http://xxx-phere.cocolog-nifty.com/beobachtungen/2011/01/post-2382.html)
に対してのコメントです。Twitterへの連投を避けるためにこちらに書くことにしました。よってまずは澤井さんのBlog記事を先にご覧ください。


------ここから本文------

澤井さん,

こんにちは。Blogを拝見しました。長期雇用を考える際に,他の制度との関係をもっと考慮せよとの意見には同意します。しかし細かい点ではいろいろと疑問やコメントしたいことがあります。例えば「労働者は選択できず逆に企業にいいように利用されてしまう」といった表現や中小企業における長期雇用の実態認識等には疑問を持ちました。

まずは守(ら)れないルールについてです。そのようなものは意味がないだけでなく,恣意的な摘発が可能になるため,はっきり言って害悪であると思います。この点については再度議論します。

次に「いいように利用されてしまう」という表現についてです。問題のある人や行為が,労使双方に現実に存在していることは承知していますが,ルールの範囲内での行為を糾弾するような書き方だと冷静な議論が成立しない恐れがあるため望ましくないと思います。

おそらく経済学者の発想では,何らかの好ましくない行為が実際に観察された場合に,それを引き起こした人物を糾弾するのではなく,それを防ぐように誘導できなかった制度設計の問題として捉えることが一般的だと思います。

例えば労働に関するトラブルが発生したとするなら,まずなぜそれを防げなかったのかを私なら考えます。その上で,制度設計のミスが原因なら修正を検討しますし,防ぐことのコストが大きすぎたために「あえて防がなかった」のであれば,定められた罰則を淡々と課すしかありません。

僕がよく例に使うのは自動車事故による死傷者のケースです。まず事故を起こせば相応のペナルティーが課されますね。そして速度制限等の行為規制,自動車の安全基準やガードレールの整備などを総合的に利用して政策目標を達成しようとするのが現実的です。

そしてそれでも防げない事故が発生したとき,被害者側の感情も分かりますが,加害者を過度に糾弾するのではなく再発防止のために何が出来るかを考える方が建設的だと思うのです。もちろん最適な対策は,時代の変化や技術進歩によっても変化するので定期的な見直しが必要ですね。

続いて「雇用の流動化などはすでに長期雇用の条件を満たせなくなりつつある中小企業で構造的に起こっている」との記述がありましたが,端的に言えば事実誤認かと思います。中小ではそもそも長期雇用が例外的であったと捉えるべきではないでしょうか。例えば以下のページをご覧ください。
http://www.chusho.meti.go.jp/pamflet/hakusyo/h17/hakusho/html/17321400.html

また私が中期雇用も許すべきだとしている点について,澤井さんは大規模な制度変更だと捉えられているようにお見受けしますが,私はそうは考えてはいません。変更後も,おそらく大企業では長期雇用が続くと思いますし,これまで実質的に長期雇用ではなかった中小企業の労働者に関しては,現状を追認するというだけではなく「守れるルールになったのだからきちんと守らせる」ことが可能となると理解しています。

また交通事故の例に戻るなら,例えば高速道路で時速100キロメートルまでという速度制限に違反したとして摘発されたときに,現状では「運悪く取り締まりに引っかかった。今度は捕まらないように注意しよう」というような認識を持つドライバーが結構多く存在しているのではないでしょうか。しかし速度制限を実態に合わせて少し緩める代わりに取り締まりを厳格化することで,皆が新しいルールを守るようになれば,結果として現在よりも事故が減るのではないかと私は考えています。

これを労働の話に適用すると,守れるルールであり,かつ本当に守らなければならないルールとすることで,労働基準監督署による取り締まりにも一層の正統性が認められるのではないでしょうか。現状では,労働者が使用者の行為に不満を持っても「他もこんなものだろうな。訴え出ても得しないだろうな」と考えてしまう可能性があるのに対して,このラインを超えたら必ずアウトという線引きを明確にすることは,とても有用なことだと思います。

最後に小倉さんとの会話についてです。そもそも「説得」とは,相手に伝わる語りかけでなくては意味がありません。まあ京極夏彦の小説に出てくる京極堂の「憑物落し」のようなものですね。例えば僕が池田信夫さんと会話した記録のtogetter (http://togetter.com/li/90352) をご覧いただければ,相手に伝わるように注意深く言葉を選んでメッセージを投げていることがご理解いただけると思います。

これに対して小倉さんとのやり取りでは,もっと彼に伝わる言葉が別にあるはずなのに,それを選ばずに次々と「いかにも経済学者的な言葉」を投げつけているという意味において,私に非があることは認識しています。これは小倉さんからのメッセージが千本ノックのように次々と飛んでくるので言葉を選んでいる暇がないというのもありますが,このような乱闘をやると多くの人が面白がって見てくれるため,労働問題への関心が高まるという効果も少しは期待していたりします。まあ投げかけられる言葉への適切な対応が出来ていないという観点からは私の処理能力不足の問題であり,「関心が高まる」などと言うのは後付けの言い訳にしか聞こえないかもしれませんね。

私としては澤井さんから頂いたコメントだけでなく小倉さんからのツイート等も含めて,自分が長い間考えてきた今後の労働ルールのあり方について,どこが分かりにくくて誤解されやすいのかを理解する,そしてもちろん考え方自体に問題があれば修正するためにとても役に立っていると思い,皆さんに感謝しています。今後ともコメントをいただけること,また建設的な議論が出来ることを楽しみにしています。

コメントを頂き,ありがとうございました。

安藤至大


2011年1月17日月曜日

差別の経済分析

前回,差別をなくすためにはどのような施策が必要なのかという問題を議論し始めました。その際に重視したいのは,単純に差別行為を禁止すればそれで問題が解決するとは限らないため,様々な手段を組み合わせることが必要であるという視点です。また何らかの差別是正措置を採用したら事後評価を必ず行うことも重要だと考えています。

そもそも経済学における差別研究は,1950年代から始まりました。1957年にBeckerの有名な著書が出版され,嗜好に基づく差別が経済学の分析対象として初めて俎上に上ったのです。また1973年のArrowの論文などをきっかけとして統計的差別の存在にも注目が集まりました。

このように差別を嗜好に基づく差別と統計的差別とに大きく分けて扱うのは,経済学では標準的です。前回の記事では,嫌いだから差別をするとか偏見があるから差別するというものではなく,ロジックとしてより興味深い統計的差別を先に採り上げたため,このエントリは「机上の空論」であるといった評価もあったようです。しかし,嗜好に基づく差別についても追々検討していきますのでしばらくお待ちいただければと思います。

さて私は,上記の二種類のもの以外にも差別する理由があると考えて,2007年頃に"Implicit reverse discrimination in firms"というタイトルの研究を始めました。そこでは,差別主義者だと思われたくない上司が,少し能力が劣るくらいならあえてマイノリティーを昇進させる可能性があるという意味での企業内の逆差別を採り上げて分析しています。しかしこれは理論的にはMorris (2001)” Political correctness”のロジックを企業内の昇進競争に当てはめただけとしか自分でも評価できないので,残念ですが,いくつかの大学で研究報告をした後にとりあえず放置してあります。おもしろい発展のさせ方ができないかと,この問題も時々考えてはいるのですが。

このように差別問題に興味がある私としては,本業に差し支えない程度に議論を進めていきたいのですが,差別の問題は表現に気を使うためか執筆に時間がかかります。よって,10日ごとくらいにポストできるように気長に進めていきたいと考えています。

それでは。

2011年1月15日土曜日

差別は,それを法で直接的に禁止すれば防げるのか(1)

さて本日は,差別をいかに防ぐかについて考えたいと思います。まず差別を統計的差別と嗜好に基づく差別に分けて議論しましょう。そして後者はさらに心底嫌いだから一緒に働くと生産性が落ちるケースと単に食わず嫌いで雇ってみたら案外良かったとなりうるケースに分けられます

1, 統計的差別
1−1,統計的差別とは何か

まずは統計的差別から見ていきましょう。統計的差別とはどのようなものでしょうか。これは人々が何らかの選択を行う際に,選択肢の事前評価を詳細にするだけの時間がなかったり能力がなかったりする場合に,選択肢が持つ属性に注目して最も平均的な評価が高いと認識されるグループの中から選ぶことなどを意味しています。

例として,定年までの長期にわたって働いてくれる若手を求めている企業が採用活動を行う場合を考えてみましょう。このとき,個別には様々なケースがあるでしょうが平均的には男性よりも女性の方が結婚や出産,また配偶者の転勤等の理由で退職する可能性が高いとするなら,この企業は男性を雇いたいと考えるでしょう。ある女性求職者が「私は結婚しても出産しても仕事は続けます」と面接で言ったとしても,実際には退職してしまうかもしれません。

正規雇用の労働者が離職してしまうことを防ぐ手だてには,例えば年功序列賃金の導入や勤続年数により退職金を大きく変えることなどがあります。これらは給料から強制的に社内預金をさせられて,労働者側からの離職の場合には返してもらえない制度と理解することができます。

しかしこの社内預金を放棄しさえすれば,実質的には離職は自由です。このとき女性の求職者が離職しないことにコミット(確約する)ことができないことが採用されない理由といえます。これは嫌いだから差別をしているのではなく,単に企業が平均的に見て有利な選択をしているだけですね。

別のパターンも見ておきましょう。ここでは人気が高い企業の人事部が誰を面接試験に呼ぼうか考えているケースを想定します。有名大学の学生とそうでない学生を比べたときに,有名大学にも出来の悪い学生がいるでしょうし,そうでない大学にも優秀な学生はいますね。しかし平均的に見れば有名大学の方が優秀な人が多いと企業が認識している場合には,企業は有名大学の学生のみを面接試験に招待するかもしれません。

これも嫌いだから差別をしているのではなく,単に調査費用を節約するために採られている合理的な行動です。仮に面接を行えば誰が有能なのかを確実に判断できるとしても,2割の確率で優秀な人がいるグループではなく8割の確率のグループから選んだ方が効率的です。

1−2,外見以外はまったく同じであっても統計的差別は起こりうる

統計的差別とは,能力等にまったく差異がなくても発生しうるものです。例えば男女間に能力の差(男性の方が重いものを持てるとか)や行動の違い(寿退職をする可能性は女性の方が高い)などが全くなかったとしても起こりえるのです。

外見が赤か緑かだけの違いがある同じ人数の二つの種族があったとして,毎年企業経営者たち(これはどちらの種族でも良い)が採用活動を行う場合を考えてみましょう。ここで本当は労働者としての潜在的な能力は同じなのに,赤のほうが高いという誤った予想を経営者の一部が持っていたとします。このとき「緑は使えないので赤を多く採用したい」と考えるでしょう。

学校教育や職業訓練を受けている段階の若い人々がこの予想を知ると,行動に違いが出ます。赤は採用される可能性が高いので努力することの期待できる見返りが大きく,結果として努力します。一方で緑は,見返りが少ないので,同じ水準までは頑張りません。これは彼らにとって合理的な行動です。

このとき努力に差があるため,採用試験の時点での能力に差が生まれています。本当は潜在的能力に全く差がなくても,差があるという誤解があるだけで本当に差が生まれてしまいました。このように統計的差別とは自己実現的に起こりうるものなのです。

1−3,差別禁止法を制定するだけで統計的差別を防げるのか

さてこのような差別はどのように解消すれば良いのでしょうか。差別を直接的に禁止する法律を制定すれば,それでうまく行くのでしょうか。以下では差別禁止法の内容と役割について考えてみます。

まず法律が「能力に差がないのに色だけで差別をしてはいけない」というものであるときを考えてみましょう。これは能力に差があれば能力が高い方を採用して構わないということですね。先ほどの赤と緑のケースを引き続き考えると,人々が持つ「赤の方が優秀だ」という予想が変わらなければ,やはり努力選択に差が生まれ,結果として能力に違いがあるので,経営者にとっては赤を雇うのが合法かつ合理的行動です。差別はなくなりませんね。

では「最低でも一定割合(ただし5割未満の値)は緑を採用すること」という規制を追加したらどうなるでしょうか。罰則が十分に大きければ企業は緑をその水準まで採用するでしょうが,やはり赤の方が採用される確率が高いために努力と能力の差が生まれてしまいます。これでも差別はなくなりませんね。

このとき企業は「法律があるから仕方なく緑を雇っているけれど,本当は能力が高い赤を雇いたいなあ」と考えているのです。従って採用時の差別とは異なる別の差別が発生するかもしれません。会社にとって緑はいやいや採用させられた労働者なので「おまえは能力が低いのになぜうちの会社にいるんだ」といった視線にさらされることもあるでしょう。

それでは同数ずつ採用することを企業に義務づけたとしましょう。いま考えている設定の下では,このとき時間を通じて差別がなくなります。なぜでしょうか。

ある日を境に同数採用法が施行されると,企業は最初は能力が低い緑をいやいや雇うわけですが,それを見た次の世代は「赤緑が同じ確率で採用されるので頑張ろう!」と考えて同じ水準の努力が選択されます。よって企業が次世代を採用する段階では,経営者は「最近は赤も緑も同じだな」と考えるようになり,生来の能力に関する誤解を解くことになりました。いやあ,よかったですね。

それでは差別が解消された状況を見た政府が規制を撤廃しても問題ないのでしょうか。注意しないといけないのは,労働者が実際に働いたときに生み出す成果が彼らの能力だけで決まるのなら撤廃しても問題ありませんが,不確実性の影響を受けるときはまた差別がある状態に戻ってしまう可能性があるという点です。

ある経営者が,緑の社員が何か失敗したのを見て「やはり緑はだめだな」などと考えてしまうと,次世代の採用に影響が出ます。このとき赤緑間での採用確率が変わるので,その後の世代の努力選択に差が出てしまい,また差別のある世界に逆戻りです。つまり同数採用することを強制する法律が欠かせません。

さてここまでの話は,赤緑間で潜在能力に差がない場合を考えてきました。しかし現実は違います。例えば平均的な能力が同じでも男女間で仕事に向き不向きがありますし同性の中でも能力にバラツキがあるのが現実でしょう。また建設現場の仕事は重労働が多いので男性が多い方がうまくいくといったような,産業により最適な割合が異なることも考えられます。

以下では先ほどの赤と緑の話を用いて,種族内では能力の差がないが企業によって最適な赤緑比率が異なる場合を考えましょう。企業1にとっては赤と緑の能力が同じであるなら8:2の割合で,反対に企業2は2:8の割合で雇用するのがベストとします。このとき同数の採用を法律で強制していると,まずそのことによる生産性の低下が起こります。問題はそれだけではありません。人々の間に規制に対する不満が生まれます。赤も緑も能力は同じなのに,自分に合った仕事ができる企業への就職が阻害されているからです。

また仕事に向き不向きがある場合には,本当は赤を多く雇いたい企業で働く緑のうちの一部は「あいつは仕事ができないやつだ」と周囲から思われてしまいます。この場合にはやはり差別が発生してしまいますね。

ちなみにすべての企業が半数ずつ採用という形の規制であるのが問題であり,政府が企業1には8:2で,企2には2:8で雇うように規制すれば良いと考えるかもしれませんがそうではありません。まず政府に,各企業にとって最適な採用割合を把握する能力があるのでしょうか?おそらく無理でしょう。それではどうすればよいのでしょう。例えば企業側の申告を信じることができるでしょうか?

ここで企業側に赤と緑の潜在的能力に関する誤解がある状態に戻って考えます。企業1に「おまえの企業にとって最適な割合はどうなっているか」と聞けば,それは誤解を反映させた「うちは9:1です」などといったものになるはずです。おそらく申告は歪み,結果として赤が多く採用されることになります。このように,政府が完全な情報を持たない場合には差別禁止法を制定したり採用比率を強制したりしても統計的差別の問題は解決しません。

他に方法はないのでしょうか。いま考えているように赤緑間,そして赤緑内の潜在的能力が同一の設定の下では,実はもっと良い方法があるのです。それは企業に同数の採用を強制するのをやめて,まず教育訓練の段階にある子どもたちに対して一定の努力を強制すること,その上で能力に差がないことを試験データの公開等の様々な手法で宣伝することです。このとき採用が自由であるなら企業は能力が同じであることを前提として自社にとって望ましい割合の採用を行うでしょう。皆が幸せになれます。

差別があるときに「差別をしてはいけません」という法律を作ることや「男女は同じ人数だけ雇いなさい」と規制することを安易に考えがちですが,直接的な規制をすればすべて上手くいくわけではないのです。

では赤と緑の間に平均的な潜在的能力の差がある場合,そして赤同士,緑同士でも能力にバラツキがある場合に,どのような施策をとれば統計的差別を防ぐことができるでしょうか。考えてみてくださいね。

また能力の違いについての統計的差別だけでなく,正規雇用労働者の平均的離職確率が異なる場合に発生する採用に関する統計的差別についても対策を考えてみてください。場合によっては完全な差別解消はどうやっても無理だとあきらめざるを得ないかもしれませんが,その場合でもできるだけ望ましい状態に近づけるための施策を考えましょう。

というわけで続きはまた後日!

2011年1月14日金曜日

法的規制とインセンティブに働きかける制度設計の連携

こんにちは。今日はタバコのポイ捨てをいかに防ぐかという問題を例に挙げて,法的規制とインセンティブに働きかける制度設計の連携について考えたいと思います。

さて,いま政策や制度をデザインする立場にある人が,何らかの目標を達成するための制度設計を考えているとします。このとき動機付け(インセンティブ)には大きく分けてアメとムチがありますね(内発的動機等の論点は,今はとりあえずおいておきます)。

ムチとしての代表は法的な規制と,それに伴う罰則です。しかしこれだけでは不十分な場合も多く見られるため,誘導したい行為や結果を得るためにインセンティブ制度(アメ)を併用することが重要となります。

以下では,例としてタバコの吸い殻のポイ捨て防止を考えることにします。どうすればポイ捨てを減らすことができるのでしょうか。役所の担当者の気持ちになって考えてみましょう。

まず「ポイ捨てかっこわるい」といったキャンペーンを行うこと,また法律で直接的に規制することなどが考えられます。ここで規制する場合には,どう取り締まるかが問題となるでしょう。似ているような気がする問題として,自動車の路上駐車取り締まりがありますが,こちらは比較的取り締まりが容易です。なぜなら路上駐車とは車を置いて一定時間離れることなので。

しかし同様にポイ捨てを取り締まる担当者を少しくらい街に配置しても意味はないのではないでしょうか。それは,ポイ捨てをする人は取り締まる人の目の前では捨てないと思われるからです。捨てるなら誰も見ていないタイミングを見計らって捨てるはずですね。

ここで摘発が難しいからといって,罰則を強化しすぎても弊害があります。例えばタバコのポイ捨てを見つかったら罰金100万円といった制度を導入したら何が起こるでしょうか。このとき,ポイ捨てを見つけた取り締まり係と捨てた人との間での裏取引が起こる可能性がありますね。例えば,見つかった人が「1万円あげるから見なかったことにしてね」と取り締まる人に提案するかもしれません。しかしもっと問題なのは,取り締まり係の方が,何もしていない人に難癖をつける場合です。「お前今捨てただろう。罰金100万円だ。それがいやなら俺に10万払え」とかいわれるのは困りますね。怖くて街を歩けません。

このように防ぎたい行為を直接的に禁止して罰則を設けても実効性がない,または弊害が大きそうな場合には,どうすればよういのでしょうか。このときインセンティブに働きかける方法を経済学者は考えるわけです。例えば吸い殻にデポジットを設定してはどうでしょうか。タバコ一本あたり100円のデポジットを販売時に徴収し,吸い殻を20本分集めて販売店に持っていくと2000円返金されるといった制度を導入するのです。

誰も財布の中の100円玉を街にばらまかないですよね。同様に吸い殻をポイ捨てしなくなります。そしてこの制度には,さらに巧妙な仕掛けがあるのです。それは仮に酔っぱらった等の理由でポイ捨てをする人がいたとしても,道で吸い殻を見つけた人がそれを拾って換金しようとすることです。結果として街はきれいになるでしょう。

この施策には当然考慮すべき点はあります。両切りのピースはどうするんだというのは置いておいて,まずは費用です。この制度を運用するためには吸い殻の回収をする窓口を設定するなど費用がかかります。またいちいち吸い殻を店に持っていくこと自体にも費用もかかりますね。それだけではありません。例えば海外から吸い殻だけ輸入されて換金されることへの対策も考える必要があります。これを防ぐにはフィルターにチップ等を埋め込むとかが必要になるのでしょうか。他にどんな問題があるでしょう?考えてみてください。

いずれにせよ,設定した政策目的に対して,規制と罰則の効果と限界を理解し,他に組み合わせられる制度がないかを検討することは政策分析の基本なのです。そして想定できる限りありとあらゆる手法について考察し,ベストのものを選びましょう。このとき規制だけで十分なケースもあるでしょうし,他の施策との組み合わせが有効かもしれません。

さて問題です。ここであげたデポジット制以外にどんな制度が候補として想定できますか?考えてみてください。たとえばタバコ自体を完全に販売輸入禁止にするというのも一案ですね。

ちなみに,事前にさんざん考えたのに,結果として予想外の結果になりうまく行かないことも起こるかもしれません。しかしそれはそれで仕方ないのです。検討の段階でも費用対効果をよく考えるべきですから。検討段階で100%を目指しても,100%にはならないかもしれませんし,なっても遅すぎる可能性があります。HIVの画期的な新薬があっても認可に時間をかけすぎていたら結果として救えた命が失われるかもしれません。何事も比較考量が大切ですね。

というわけで,人々の何らかの行為を防ぎたい場合には,直接的な規制やインセンティブに働きかける制度設計,そしてその併用を考えることが有用なのです。

2011年1月10日月曜日

新年のごあいさつ

【以下はTwitter上で連投したもののコピーです】

あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。さて昨年12月27日に神戸労働法研究会に参加しました。大内伸哉先生のblogに,当日の内容がまとめられているので紹介します。
http://souchi.cocolog-nifty.com/blog/2010/12/post-5c3e.html

神戸では,まず石田信平さんによる報告を聞きました。仕事の位置づけとして,単に生活の糧を得るための手段と考えるのか,それとも社会参画や自己実現に欠かせないものであるため「公正」であることが求められるのかといった点からの議論が主に展開されました。

しかし私は,社会参画や自己実現を安易に仕事に結びつけることに問題があるように思います。おそらく現状では,一定以上の資産がある場合などを除けば,働かなければ生活できないからこそ仕事に社会参画や自己実現がリンクされる傾向があるのではないでしょうか。

最近,石油に似た油を効率的に生み出せる藻が発見されたそうです。仮に我が国がこの技術により非常に豊かになって,国民一人当たり毎月100万円のベーシックインカムが払えるようになったとしましょう。この場合でも仕事は自己実現のために必要と言えるのでしょうか。

さて,私は退職後の競業避止義務についての理論分析を報告しました。その際に,主張の骨子と強調したいトレードオフの関係などを先に理論モデルなしで説明しました。その上でなぜ経済学者は,このような主張をわざわざ理論モデルを使って表現するのかについても解説しました。

なぜ言葉でも説明可能なトレードオフの関係や政策的含意などを数式やモデルを用いて表現するのでしょうか。それは日常言語で詳細な場合分けや論理的帰結の検討をするのが難しいからです。

数学を使うから難しいというのは誤解で,(日常言語で考察するのが)難しいから数学を使うのです。その意味では,日常言語により詳細な検討を行っている法学者を私は尊敬しています。法学者もいろいろなので,全員を尊敬しているわけではありませんが(笑)

多くの労働法学者は,「経済学者は,もっと実際の法律や制度,そして紛争の実態を知るべきだ」と考えているのではないでしょうか。一方で経済学者は,「労働法学者は,規制の波及効果や,紛争にはならない通常の企業行動をもっと知るべきだ」と考えているように思います。

私の報告に対しても,実際の紛争や法制度に関する様々なコメントを頂きました。今後,法学と経済学の相互理解が進めば学問として楽しいだけでなく,真に労働者のためになる制度設計についてのより有益な議論できるようになるはずです。というわけで,また法学者の研究会に参加したいと思います。