2010年10月1日金曜日

労使の自治に委ねよ

【日本経済新聞 経済教室(2006年12月12日)労働契約を考える(上)】

賛否両論がある自律的労働時間

厚生労働省の労働政策審議会労働条件分科会で、ホワイトカラーを対象とした時間に縛られない働き方(日本版ホワイトカラー・エグゼンプション)の是非についての議論が進んでいる。ホワイトカラー・エグゼンプションとは、一定の条件を満たすホワイトカラー労働者に対して、現行の労働時間規制を免除する制度である。

日本経団連などは、自律的に働き、時間の長短でなく成果や能力などで評価されることがふさわしい労働者に向いているとして、この導入を求めている。一方で、制度の導入は賃金の切り下げと長時間労働をもたらしかねず到底容認できないとする反対意見も強い。以下では、制度導入が、低賃金・長時間労働につながるのかどうか考えてみたい。

まず賃金切り下げを考えてみよう。確かに制度導入により現状の賃金体系のままで残業代だけが削られれば、実質的な賃下げとなる。しかし、労働者の待遇は労使間の交渉によって決まり、交渉力を対等に近づけるためにも現実には労働組合の団体交渉など様々な対策が採られている。従って一方的に条件が切り下げられるとは限らない。

また企業は製品やサービスの市場だけでなく、労働者の新卒・中途採用の市場でも競争している点を考慮すべきだろう。競争の圧力があれば、企業は利潤を追求する経済主体であるからこそ一方的な条件の切り下げは行わないだろう。仮に他の企業が低い条件で労働者を処遇していれば、それよりも少し良い条件を提示することで有能な新卒者や中途入社の社員を獲得することができるからである。こうした企業間競争が働けば、労働者の待遇は適切な水準に上昇すると考えられる。

一方、企業間競争が不完全ならばそうはならない。つまり労働者保護に必要なのは、透明性の高い契約交渉を奨励し、労働条件を第三者にも見えやすくすることであり、これらを通じて採用市場における競争を維持することが肝要といえる。

時間規制導入は根拠ある数字で

労働者の待遇は、一律に規制せずに、可能ならばこれを市場に任せるほうが望ましい。なぜなら正当な待遇とは何かを一律に決めたり外部の人間が判断するのがそもそも難しいからである。例えば現状で当人の貢献に見あった収入を得ていないように思われる労働者がいても直ちに不当であるとはいえない。

現在の低賃金は年功序列賃金制度に基づくものかもしれないし、昇進によって事後的に報われる可能性を考慮すれば正当かもしれないからである。また経験と実績を積んで転職市場での自らの価値を上げることが、長時間働く当人の目的かもしれない。不当かどうかを判断する際に必要なのは、生涯全体で見た賃金と生産性との比較考量である。

エグゼンプションが導入されると無制限な労働が強制されるとの主張も同様に間違いである。労働者が情報をほとんど持っていない、または合理的に判断できない場合を除けば、労働市場での競争が問題をかなりの程度解決するだろう。先ほどと同様、ライバル企業が不当な長時間労働を課していれば、それより良い条件を提示することで優秀な労働者を引きつけることができるからだ。

以上で述べたように、エグゼンプションが導入されたらすぐにあらゆる企業がこれを活用し、賃金の大幅削減と長時間労働に直結すると安易に結論付けるのは間違いである。労働者を不当な低賃金や過酷な労働から守るには、一義的には労働市場における競争環境の整備が重要なのであり、その上で労使自治に任せるのが原則である。

ただしこれまでの議論が成立するのは、労働条件が悪ければ労働者が転職・離職を合理的に判断できる場合である。しかし、過労死が少なからず発生している現状を見れば、自分の健康状態をうまく管理できない、また精神的に追いつめられて適切な判断が下せない労働者も一定程度は存在しているだろう。

こうした人々を保護するには、週40時間といった医学的に根拠のない規制ではなく、データに基づく労働時間規制や健康状態の確認などが必要である。例えば2001年に示された厚労省の過労死認定基準によれば、残業時間が疾患発症前1ヶ月に月100時間あるいは同2-6ヶ月間にわたり月80時間を超えると、業務と発症との関連性が高いとされている。時間規制を検討する際は、このような裏付けのある数字を参考にする必要がある。

成長維持こそ労働者を守る

次に労働者を守るために他に何が効果的なのか考えてみよう。まず挙げられるのは高い経済成長を安定的に維持することである。現在の有効求人倍率と失業率を見ても分かる通り、景気が良くなれば企業間競争を通じて労働条件は改善する。そのためにも適切なマクロ経済政策が必要である。

また労働契約法制に着目すると、解雇を容易にすることも実は労働者保護につながる可能性がある。これは一見、矛盾するように聞こえるかもしれない。しかし整理解雇がしやすくなれば新たな正社員の採用が容易になるだけでなく、景気後退局面で企業の経営状態の回復が早まる効果も見込める。解雇を容易にするとの考え方は労働者の保護をしなくてよいという主張ではない。労働者の保護を個別企業に担わせるのではなく、雇用保険などを通じて一国全体で負担する方が多くの場合効率的になるのである。

繰り返しになるが、企業は利益を追求する経済主体であり、だからこそ競争環境さえ維持されていれば労働者に不当な取り扱いをしないのだ。仮にそのような行為を行なえば当該企業の評判が傷つき、優秀な社員から順に退職してしまい、さらには採用活動に大きな悪影響を与えるからである。

弱者保護は不可欠である。しかし、すべての労働者を弱者とみなすのは適当ではない。また、弱者保護という目的は正しくても、手段を適切に選ばなければ弊害が大きくなりすぎることになる。考えるべきは、労働時間規制や割増賃金の支払い義務が労働者の健康状態をコントロールする適切な方法なのかという点である。例えば残業手当の支払い義務が労働時間抑制に役立つとは限らない。残業手当には、使用者が労働者に残業をさせなくなる効果だけでなく、残業代があるからこそ労働者が望んで残業をするという可能性があるからだ。

また時間管理という手法が実効性のある制度かどうかも重要である。労働時間規制があっても、昇進や実績作りのために働きたい人は家に持ち帰ってでも仕事をするだろうから、タイムカードで管理すればそれで十分というものでもない。またなぜ残業代がきちんと請求されないのかも興味深い論点である。残業代の総額や請求可能な時間が決まっているから請求しないのではなく、自発的に申告していない可能性もあるのだ。例えば割り当てられた業務を残業なしでこなした方が優秀であると評価されて昇進できる確率が上がると労働者が考えている場合には、請求可能でも請求しないかもしれない。

労働時間や労働契約に対する規制を設けることは一見、労働者保護のように見える。しかしながら正社員への保護を強めれば、企業は代替労働力としてパート社員や派遣社員を利用するだろうし、非正規雇用から正規雇用への転換を強制すれば労働力を海外に求めるようになるだろう。このように結果として労働者全体の首を絞めることにもつながりかねない。

労働者の保護というときに誰が保護対象なのかも注意する必要がある。現時点で正社員として働いている労働者の保護を強化すると、今後の採用活動が抑制され、これから労働者になろうとする若者などは不利益を被ることになる。現在の正社員はこの点から言えば既得権者なのである。過労死など不幸な問題を引き起こさないためにも、理論とデータに基づいた制度設計が求められる。

1 件のコメント:

  1. >ただしこれまでの議論が成立するのは、労働条件が悪ければ労働者が転職・離職を合理的に判断できる場合である。しかし、過労死が少なからず発生している現状を見れば、自分の健康状態をうまく管理できない、また精神的に追いつめられて適切な判断が下せない労働者も一定程度は存在しているだろう。
    新聞で知ったデータなのですが、待遇が悪くてもやめない労働者がアンケートを取った人数(5000人のうち)の半数近くを占めています
    その理由として一度離職すると就職先が見つからないというのがあります
    こういう状況下だと雇用条件を巡る競争は行われず、条件の悪い企業が淘汰されること自体、起こりにくいように思います

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